恣意的に操作し得る「PCR検査」
実は、風邪は医学的な研究の最も進んでいない疾病のひとつだ。感染しても発症しない人が無数にいるし、軽度の症状なら医者に行かずに放っておく人が大多数である。症状が多少重い場合でも、風邪薬を買って家で寝ている人のほうが通院者より多いだろう。通院したからといって、風邪原因のウイルスを検査して特定するなどという経験をされた人はいまい。
コロナ型ウイルスは、従来から広く蔓延していたに違いないが、医学的にも統計学的にも実態は把握されていなかったのである。ただし、我々の生活実感としては、軽度の風邪症状は年間複数回あるものだし、熱を出して寝込むことも個人差はあれ、1年に数回から2、3年に1度は誰しも経験するだろう。無症候の感染がその数倍あるとすれば、風邪ウイルスの曝露は誰しも年に5回や10回を下回ることはなかろう。
そんなウイルスに対して、週当たりの感染者を無症候の人間までPCR検査で拾い上げ、10万人当たり25人を超えたら感染爆発だなどと定義したら、収拾がつかなくなるのは目に見えている。
しかも、分科会提言はその判断基準をもっぱら「感染者数」に依存しているのに、その根拠となるPCR検査について、何らの採用根拠や基準を示していない。
どのようなPCR検査キットが用いられており、それはCt値、精度において適切なものか、政府は現在まで1度もその妥当性を検討していない。PCR検査キットは業者や検査機関の恣意に任されており、政府の許認可を必要としていない。検査技師の能力に対する基準を設けてもいない。
何よりも驚くべきことは、感染者数は政府が管轄、集約、発表する数値ではないということだ。地方自治体が保健所から上がってくるデータを発表しているだけで、政府には適切な検査を指導したり、正確な数値を報告させる法的権限がないのである。
これで政府に大きな政策判断をすることができるはずがあるまい。
新型コロナ禍が世界で勃発して数カ月は対処に追われ、事態の改善に臨めなくとも仕方なかったであろう。だが、すでに1年5カ月を経過している。最優先すべきは、政府が医学情報を一括管理できるような法整備ではなかったのか。
いまからでも遅くはない。何としても、政府が管理していないPCR検査による感染者数が、国策をかくも深刻に拘束するという異常さを改善しない限り、事態は半永久的に改善しない。
たとえば、反日極左活動家や東京五輪潰しの意図を持つ者がPCR検査キットを大量に販売し、共産党の強い自治体、医師会有力者、大病院などを通じて、陽性者が出やすいPCR検査を普及させれば、クラスター追跡などでデータを恣意的に操作し得る。
分科会は疾病リスクの判断もせず、感染者数のみに依存して社会制限を唱える一方で、PCR検査の妥当性についても、医療体制整備の具体的な提言もせず、いたずらに行動制限を唱え、時間を浪費した。
尾身会長こそふんどしを締め直せ!
こうした怠慢のまま、11月が来る。言うまでもなく、コロナ型ウイルスは11月から4月まで、再三再四、波の増減を繰り返し流行する。案の定、11月18日、尾身茂分科会会長は衆院厚生労働委員会で次のように発言し、現在まで半年続く狂気の幕を自ら開けることになったのである。
「クラスターの数が多様化していたり、実効再生産数とPCRの陽性率も少しずつ増加したりしている。このままいくと、国民の努力だけではコントロールするのが難しく、さらに強い対応をしないといけない事態になる可能性がある。そうならないために、感染リスクが高まる場面を避け、先の分科会の緊急提言を踏まえた対応を早急に実施することが求められていて、いまがもう一度、ふんどしを締め直す時期だ」
「ふんどしを締め直す」が10カ月の経験を経たうえでの専門家の見解とは、笑う気にもなれない。尾身氏の情緒的で科学性ゼロの発言はなおも続く。以下、11月27日、衆院厚生労働委員会。
「多くの人に分科会のメッセージに対して協力してもらい、個人の努力を十分にやってもらったが、ここまでくると、個人の努力だけで、いまの感染が拡大している状況を沈静化することはなかなか難しい。問題の核心は一般の医療との両立が難しくなっている状況であり、個人の努力だけに頼るステージはもう過ぎたと認識している」
「営業時間の短縮や、感染拡大地域とそれ以外の地域での人の動きをなるべく控えてほしいと、国や地方自治体が強いメッセージや方針を出しているが、すべての国民が同じ危機感を共有することが重要だ」
感染状況は政府と国民の責任、努力次第という責任回避のロジックが暗示されている。