愚かな政策の責任者は誰か
菅政権は発足以来、新型コロナ対策を除けば政策実現上の成果を数々挙げている。学術会議という左翼イデオロギーの砦に風穴を開け、日米首脳会談で台湾海峡に言及し、従軍慰安婦という呼称が不適切であることを閣議決定もしている。国民投票法改正案も衆議院で通過させ、一方でデジタル関連法を粛々と成立させてきた。天皇の男系男子継承への布石も、安倍時代よりも前進している。
安倍路線を堅持しつつ、安倍政権が外交・安全保障に軸足を置いていたために滞っていた内政改革にスピーディに着手し、政策実現のうえで期待値の高い政権だと言える。
だからこそ、私はここで問わざるを得ない。
なぜ、そうした能力ある政権が、新型コロナ対応では客観的にみて極めて愚かな政策――それも、菅首相自身が望まない失策をずるずると引きずり続けているのか。その悪い意味での象徴は、西村康稔経済再生担当大臣である。
私は、西村氏とは必要な時には携帯電話で連絡を取り合う関係で、私の周囲にも氏と親しい人は何人もいる。厳しい批判をするのは気が進まない。だが、今回の一連の新型コロナ対応では、私は西村氏を政府における人災の大きな原因として指弾せざるを得ない。
話を冒頭のエピソードに戻すが、私は1月6日、緊急事態宣言の発令が止め難い流れとなったのを見て、7日早朝、菅首相に、宣言解除のための数値基準は絶対に口にすべきでない、とメールした。
ところが、その日の昼のニュースで、私の僅かな希望は早々と裏切られることになる。西村氏が衆院議院運営委員会で、緊急事態宣言の解除基準に関して、東京都の新規感染者が1日当たり500人を下回ることが目安になるとの認識を示した、と報じられたからである。
報道によると、西村氏は「緊急事態宣言の解除は、感染の状況や医療の逼迫の状況を踏まえ、ステージ3の対策が必要となる段階になったかどうかで判断していくことになる」と説明し、指標のうち「1点だけ申し上げると、1週間当たりの感染者数が10万人当たりで25人を下回ることになっている。これを東京都に当てはめると1日当たり約500人の水準になる」として、感染者数に言及した。
氏が持ち出したのは、昨年8月に分科会が打ち出した指標のひとつだから、西村氏を咎めるのは酷だという考え方もあるであろう。
だが、分科会の提言どおりに事を運ぶだけならば、政治家はいらない。
「コロナ死」は極めてマイナーな死因
東京都の感染者数は12月28日の481人を最後に連日700人を超え、1月7日には過去最多の2447人の感染を確認している。つまり年末にはステージ4を超え、急増中だったのである。
それにもかかわらず、菅総理―加藤官房長官ラインがぎりぎりまで緊急事態宣言発令を回避しようとしていたのは、冒頭のエピソードが示すとおりである。菅氏らが、分科会の提示したステージという基準が危機の実態と見合っていないと判断したからに違いない。
あとで改めて書くが、そもそも感染者数なるものは政府が管轄している数値ではない。科学的な根拠、統計的な根拠も薄弱である。ありふれた風邪ウイルスの強力な変異であるとされる新型コロナウイルスに曝露している人数は実際には膨大なはずで、100人や1000人などという微小な数的基準を持ち出せば、解除の目途が立たなくなるのは、専門家でなくとも風邪ウイルスの基礎知識があれば誰でも分かるはずだろう。
今般の緊急事態宣言発令に先立って何よりも考えるべきは、出口戦略だったはずである。
繰り返し指摘してきたが、この1年5カ月にわたる日本での新型コロナによる死者数は、1万人強、平均年齢も80歳を超えている。同じ期間に日本の死者数は約200万人であり、新型コロナの死亡原因順位は20位以下、極めてマイナーな死因と言わざるを得ない。
要するに、分科会の提言したステージ3を解除基準にしていたら、死亡リスクの低い疾患のために、気候が温暖になる5月下旬か6月まで宣言解除は不可能になる。
実際、分科会の設定したステージそのものが変異風邪ウイルス対策の常識としては噴飯物であって、そのままでは到底政策に落とし込むことは不可能なのである。