志位委員長の先輩である不破哲三氏は、マルクスが「執権」という用語で、国家権力の担い手となっている階級が法権力あるいは執行権力など、国家機関のあれこれの部分だけでなく、文字どおり国家権力の全体を掌握していることを表現したと紹介しながら、次のように共産党の「権力」の見方を解説している。
「これは、われわれが今日『権力』という言葉で表現しているのと、基本的に同じ内容の問題である。実際、わが党の綱領は、民族民主統一戦線勢力が、国会の多数をしめただけでは、これを『権力』とは規定していない。統一戦線の政府が成立した段階でも、まだ『権力』とは呼んでいない。党綱領は、政府と権力とを区別し、人民勢力が、国家機構の全体を確実にその指揮下におき、マルクス流にいえば、執行権力までにぎった段階で、はじめて、革命権力に発展したとする見地にたっている」(不破『科学的社会主義研究』1976年)。
「統一戦線」とはいまでいう「野党共闘」のことだが、野党が選挙を通じて国会での多数をしめただけでは「権力」ではないというのが共産党の立場だ。単なる政権交代は革命とはまったく違う。
立法だけでなく司法、行政もふくめた「国家機構の全体」を確実に指揮下におく革命を共産党はめざしている。
不破氏は同じ著作内で「いわゆる三権分立の否定を意味するものではない」と注釈をつけているが、それは「『国権の最高機関』である国会の優位のもとに、これら三権の相互関係を規定」するというものにすぎないという。
なお、党綱領は不破氏が解説した後に数回改定されソフトな表現に変わったが、共産党の革命戦略には変更はない。
革命において予想される障害とは
いくら選挙で国民多数の支持を得たとしても「国家機構の全体」を掌握することは平和的に易々とできることだろうか?
しかも共産党がめざす革命は、アメリカ帝国主義と日本独占資本を二つの敵として、安保条約を破棄してアメリカ軍を日本から駆逐し、日本の財界・大企業の政治や経済への影響力を排除しようとするものである。
当然、そうした革命への抵抗が生じるだろう。この問題は共産党の綱領制定にむけた党の会議でも何度も議論されてきた。当時の党指導者の一人、宮本顕治氏はつぎのような問題提起をしている。
「(共産党参加の)統一戦線政府がうまれたり、またはそれが革命の政府に転化するような情勢がうまれた場合、それを妨害し、破壊するためにアメリカ帝国主義者と日本の独占資本は全力をつくすだろう、ということです。このことはなにもアメリカがすぐ正面から武力干渉にでることに限定する必要はありません。反革命的なクーデターとか、反動的な立法を暴力的に強行して民主勢力の代表を国会からおいだすとか、さまざまな形の妨害がやられるでしょう。そして、そういう一連の困難な複雑な事態の背後には、日本人民にたいする軍事的支配の中枢をにぎっているアメリカ帝国主義者があり、その軍隊が日本にいるのだ、ということを絶対に忘れてはならないのです」(1961年5月6日、全国都道府県委員長会議での報告。宮本『日本革命の展望』)。
共産党による革命運動をアメリカと日本の国家権力の強制力=軍隊が妨害(弾圧)するだろう――こうした問題意識から生まれたのが「敵の出方論」である。