「暴力革命」をめぐり繰り返された公安vs共産の争い
政府・公安調査庁が「共産党は暴力革命の方針を変えていない」といえば、共産党の側は「公安のデマだ。調査しても暴力革命の証拠は何ひとつ出ていないではないか」と反論する不毛な論戦が、1952年に破壊活動防止法の施行と同時に公安調査庁が発足して以来70年近く繰り返されている。この論争は今後も続くだろう。
公安と共産党の主張の食い違いは、問題にしている対象が動機にあるか、物的証拠にあるかの違いに過ぎない。公安は「共産党は革命をめざしているから暴力革命を起こすかもしれない」と「動機」を疑えば、共産党は「われわれは平和的な革命をめざしている。暴力を起こす手段は持っていないし、その証拠もない」と反論する。
実際、共産党には武器もないし、兵士もいない。暴力革命を起こそうにもその物質的な裏付け=条件や手段がまったくない。共産党が「選挙を通じての多数者革命をめざす」といっているのはウソではない。それしか革命をおこす手段がないのである。
だから私は、共産党に対して「暴力革命の党だ」と批判するやり方には賛成できない。
武力という手段を持たない共産党に「暴力革命の党」というレッテルを貼るのはリアルな批判にはならない。リアルな事実を示せなければ、共産党による「政府はデマを流している」という宣伝に少なくない同調や共感が広がることにもなる。今回の八代発言が謝罪、撤回に追い込まれたのもそのためだといえる。
実は日本における暴力革命は不可能
「共産党には暴力革命を起こす武力がない」という指摘に対して、「軍隊はなくてもテロは起こせる」との反論も少なくない。「共産党もそこまで愚かではない」というのも一つの回答だが、あえて空想を広げて考えても今の共産党にテロは準備できないし、実行もできない。火炎瓶なり手製爆弾なりの凶器を準備しようとした段階で公安調査庁が察知するだろう。
たしかに日本ではオウム真理教団によるサリン事件など数々のテロを経験している。この時は事前にオウムの凶器準備を察知することはできなかった。当時はまだ公安の調査対象から外れていたことが一つの要因だ。だが日本共産党に対しては公安調査庁が発足以来、ずっと調査対象としてマークしている。
もし、共産党が暴力革命を企図していて、その準備をはじめているならば、日本の警察力や自衛隊の治安出動の能力を用いれば、たやすく封じ込めることができる。こうした事態はたしかに大事件であり、騒乱ではあるが、同時に日本共産党が組織としても壊滅する瞬間ともいえる。
以上はもちろん空想の域を出ない。しかし暴力革命という空想が仮に現実となったとしもそれに有効な対抗手段として警察や自衛隊がある限り、恐れるに足るものではない。