ならば日本共産党は危険性のない平和な政党なのだろうか? 同党が革命政党である以上、その答えは「否」である。真に恐れなければならないのは「暴力革命」ではなく「革命」そのものだからだ。
革命は、武力によらず、平和的に選挙によって遂行されたとしても、既存の社会体制を大本から転覆させる行為である以上、流血の暴力をふくむあらゆる事態を想定しなければならない。
志位委員長は革命の恐ろしさを否定するのに懸命だ。
「なお『革命』といっても恐ろしい話では決してありません。私たちは、世の中の仕組みを大本から変えるという意味で、この言葉を使っていま す。しかも、過去の世界史のさまざまな『革命』とは違って、選挙で多数を得て進めることを明確にしています。一部に『共産党は革命政党』だといって“恐ろしい政党”だと印象づけようとする攻撃がありますが、これはまったく成り立つものではあ りません。だいたい『革命』という言葉は、たとえば『産業革命』、『科学技術革命』というように普通に使われているではありませんか」(2021年8月4日、党創立99周年記念講演)。
共産党のめざす革命は「選挙で多数を得て進める」というものだが、それは過去の世界史の中での「『革命』とは違って」一度も成功したことがない“実験”であることを、この志位講演でも認めている。
実際、世界の歴史をふり返れば革命は常に暴力、武力行使をともなっている。我が国の革命である明治維新も「大政奉還」という平和的手段では終わらず、その後に戊辰戦争という内戦に発展している。一般には「無血革命」と呼ばれている17世紀イギリスの「名誉革命」も、軍事力を背景としたクーデターであり、比較的小規模とはいえ戦闘が発生しており、けっして「無血」ではなかった。「世の中の仕組みを大本から変える」ことは文字通り“命がけ”で行う企てなのだ。
共産党が警察力や自衛隊を支配下に
日本共産党が1992年に編纂、出版した『社会科学総合辞典』では「革命」を、「革命の根本問題は国家権力の問題であり、社会発展の法則にそって1階級ないし諸階級から、他の1階級ないし諸階級に国家権力が移動すること」と定義している。
そして、同辞典によれば「国家権力」とは「国家のもつ強制力」であり、「国家権力の中心は国家のもつ強力である」と説明されている。
「強力」とはドイツ語のゲバルト(Gewalt)の訳語であり、「暴力」と同じ意味だ。国家の「強制力」の具体例には軍隊、警察、裁判所、刑務所などがある。
結局のところ、「革命」とは国家権力による強制力=暴力を掌握することだといえる。これまでの革命はすべてこの暴力を他の暴力で打倒してきた。日本共産党が主張するとおりに暴力的手段を用いないとしても、暴力を掌握するという革命の本質は変わらない。いいかえれば、共産党が警察力や自衛隊の武力を支配下におくことが革命である。
これこそ革命のいちばんの恐ろしさである。