北京の報復を恐れ出版を拒否される
出版にこぎつけるまでの経緯は、思い返すにつけ苦々しい経験の連続でした。2017年秋頃には草稿を書き終え、専門家のチェックと、さらに法的な問題、つまり書いていることが名誉毀損にならないかまでチェックしてもらったのが10月頃で、完成稿はほぼ出来上がっていました。
出版社(アレン&アンウィン社)も初めから最後まで熱心に応援してくれていたのですが、あとは印刷するだけとなった11月末、突然私に電話をかけてきて、「北京からの報復を懸念しているため、あなたの本は出版できない」と言ってきたのです。契約まで全て終わっていたのに、こんなひどいことになり、呆れると同時に怒りがこみ上げてきました。
なぜかというと、このような事態は、まさに本書のなかで議論していたことを証明してしまったからです。「言論の自由」を脅かす、由々しき事態そのものですから。
考えてもみてください。オーストラリアの大手出版社が、中国共産党に批判的な内容の本を出したがらないということを。その理由は、中国共産党からの報復が怖いからなのです。「もう、オーストラリアでは中国共産党に批判的な本は誰も出せなくなったのか? どうなってるんだ?」と私は思いました。
彼らが恐れているのは、たとえば先述したホワン・シャンモのような億万長者が法的に訴えてきた際、むこうは名誉毀損裁判では負けると分かっていても、あえて訴訟を提起すれば、弁護士費用などを出版社や著者に強いて、破産まではいかなくとも、財政的に大きな負担を負わせる。牽制する意味でも非常に効果的だということなのです。
その他にも、出版社は自社サイトへの中国からのサイバー攻撃に怯えていました。マーケティング的にホームページは非常に大事なものですから。
印刷所を中国に握られている
また、彼らは私が考えもしなかったことを恐れていました。それは印刷についてです。日本の出版業界ではどうかわかりませんが、オーストラリアの大手出版社は、本の印刷を中国国内の工場に委託しています。安くて質の良いものは、全て中国本土に集まっているからです。彼らは私の本を出してしまうことで、中国国内でこれまでのように安価に印刷することができなくなってしまうのではないか、と恐れたのです。
このような事情で、出版を断られたわけですが、その電話を受けたあと、私はどうすべきか途方に暮れて、気持ちを鎮めるために外に歩きに出たほどです。
散歩から帰ってきて、私は次の出版社を探そうと気持ちを切り替えました。すると数日後に、大手出版社が出版を拒否したというこの話がニュースに取り上げられ、国際的にも大々的に知られるようになったのです。
それは当然のことでした。なぜなら、誰がどう見ても「言論の自由」の原則を脅かすと、ひと目でわかったからです。記者や作家もこの手の言論の自由の問題については敏感なので、大いに注目してくれました。
各紙で取り上げられ、国際的にも大ニュースとなり、私は「本が出る前からマーケティングも終わった、これで出版社が押し寄せてくるに違いない!」と考えたのですが、甘かった。実際は全く逆でした。
オーストラリアの他の大手出版社も、トラブルを恐れて本書の出版から逃げるようになってしまったのです。がっかりした私は、大学の出版局だったらいいだろうと思い、メルボルン大学に声をかけると、彼らは大歓迎で、すぐに契約書を交わし、いつでも出せる状態にこぎつけたのです。ところが、結局、ここでも断られることになりました。出版局が「念のために大学の理事会に許可をとる」と言い出してしばらく待っていると、やはり「拒否された」と言ってきたのです。
あとで内部情報として小耳に挟んだのは、メルボルン大学は他のオーストラリアの大学と同じように多数の中国人留学生を受け入れているため、彼らに嫌われることはできないという理由だったようです。