お祝いの会で場違い発言
もう14年も前、2006年6月の話だが、産経新聞のニュースサイト「iza(イザ!)」に開設されていた記者ブログ欄で、「将来の総裁候補」と題して自民党の石破茂元幹事長について書いたことがある。
石破氏の衆院議員在職20年記念パーティーの様子を記したもので、あいさつに立った有力議員らのほとんどが、当時49歳で当選7回だった石破氏を将来の総裁候補だと述べていたことを紹介した内容である。
この日、石破氏を総裁候補と呼ばなかったのは、自身が総裁選出馬を表明している麻生太郎外相(当時)ぐらいだった。
石破氏本人は「私のことはおいといて」とはぐらかしつつも、総理・総裁への意欲表明ともとれるこんなあいさつをしていた。
「国会議員であることも、政府の役職を務めることも、それはあくまで何かを成し遂げるための手段であって、それ自体が目的なのではないと、ずっと思ってきました」
ただ、一つ気になったのが、石破氏が「戦争責任をもう一回考えたい」と、自分のお祝いの会にしては場違いなことも強調していたことだった。
石破氏は「その人(戦争責任者)に今から鞭を打つことではない」とも説明していたが、筆者はこの時のブログにこんな危惧を書いた。
「石破氏の真面目さと使命感ゆえの取り組みが、『石破氏もこう言っている』と左派勢力に利用されないとも限りません。少し心配です……」
タカ派がリベラル左派に
筆者自身もこの頃は、石破氏の将来を嘱望していた。現在よりさらに「平和ボケ」状態にあったわが国で、「軍事オタク」と揶揄されながらも政策に勉強熱心で、票にならない安全保障分野で発信を続ける石破氏が、政治家として何か大きな仕事をしてくれるのではないか、との期待があった。
「自衛隊法は行うことができることを記した『ポジティブリスト』方式になっており、それ以外はできない。これを軍隊の行動の国際標準である行ってはいけない行動を規定した『ネガティブリスト』方式にしたい。それにより、自衛隊の活動の自由は大きく広がり、有事に柔軟に対応できる。政治家として、これだけは成し遂げたい」
当時、言葉に力を込めて筆者にこう語っていた石破氏だが、その後、党や内閣で枢要な地位に就いてからは同様の話は聞かなくなった。
若い頃はタカ派と呼ばれていたが、いつの間にかリベラル左派であるかのような印象が強い「残念な人」になってしまった。
現在、石破氏は自民党総裁候補であり続けているが、同時に朝日新聞をはじめとする左派メディアが安倍晋三政権を批判したいときに便利な存在として利用され、取り込まれている。
そして自民党の総裁候補というより、むしろ野党の代表のような発言を期待され、それに応えているのである。
「あくまでいまから思えばの話ですが、中国をはじめとして、感染が始まった国からの入国はもっと早く止めるべきであった」
「入国制限をもっと早くに行うべきであったし、そこは台湾の情報というのはもっと早く日本政府に入っていたはずであって、あれほど中国との交流が多い台湾において、総統選挙というものの最中でありながら、台湾政府が取った迅速な対応をもっと早くわが国も取り入れておくべきだった」
「ダイヤモンド・プリンセスの、乗っておった方々を、公共交通機関でご自宅にお帰りくださいというような対応を取ったのは極めてまずかった」
石破氏は、3月30日に日本外国特派員協会で行った記者会見で、安倍政権の武漢ウイルスへの対応をこう批判した。
安倍首相による全国の小中高校などへの休校要請に関しては「結果として正しかった」と評価したが、ネット上では「また後出しジャンケンか」と話題になった。