李文亮氏はその後、仕事中に武漢ウイルスに感染し、2月6日に死去した。わずか34歳だった。中国のインターネットには、武漢ウイルスの発生に最初に警鐘を鳴らした英雄として、李氏を追悼する書き込みが大量に殺到。地元の警察当局も李氏に対する訓戒を取り消した。しかし、李氏ら8人の医師を摘発した警察官は、いまも処分されていない。
中国当局はその後も、武漢ウイルスに関して、政府に批判的なジャーナリストや知識人を次々と拘束している。
封鎖された武漢市に潜入し、インターネットを通じて被災地の状況を報告していた弁護士の陳秋実氏は2月はじめから行方不明となり、当局によって拘束されたとみられる。
著名人権活動家で、習近平氏の危機管理手腕を批判、退陣を求めていた許志永氏や、同じく習近平のコロナ対応を批判していた実業家の任志強氏も相次いで拘束された。
習近平が視察した日に49人が同時に完治し退院
さらにいま、中国政府の嘘のために、多くの人が受けるべき治療を受けられず、人権が著しく侵害されている可能性を指摘する声も出ている。
武漢市の胡亜波副市長は2月21日の記者会見で、医療施設が不足していることに言及し、近いうちに新たに19の臨時病院を作り、3万床を増やす計画を発表したが、そのわずか2日後に、習氏が「政府はすでに感染拡大を食い止めた」を趣旨とする談話を発表すると、病院新設計画は即座に撤回され、既存の13の臨時病院も次々と閉鎖された。
習氏が武漢を訪れた3月10日に、最後の臨時病院にいた49人の患者が同時に「完治」して退院したことが大きく報道され、共産党の“正しい指導”で中国人民が疫病に打ち勝ったことを内外に印象付けた。
常識的に考えて、49人の患者が同じ日に完治することなどあり得ない。指導者のメンツのために、治っていないにもかかわらず、早めに退院させられたと考えられる。病院新設計画の撤回によって、入院する予定だった患者たちはその後、満足な治療を受けられていない可能性も高い。
毛沢東時代の1960年前後、当局の大躍進政策の失敗によって全国で大飢饉が起きた。餓死者は3000万人とも4000万人ともいわれていた。しかし、中国政府は死者数を隠し続けた。国内外に大豊作と嘘をつき続けた。毛沢東路線を歩む習政権の下で、悲劇の歴史が繰り返される可能性がある。
「中国に学ぶべき」と主張する日本メディア
最近になって、中国はイタリアやスペインをはじめ、被災国に医療物資を支援し、自らの「成功経験」を積極的に紹介するなど「コロナ外交」を展開している。いま、日本のメディアのなかに、「コロナ対策に成功した中国の経験を学ぶべき」といった論調も浮上している。
だが、気を付けなければならないのは、中国国内の武漢ウイルス報道に外国メディアが参加していないことだ。北京には世界中の主要メディアに派遣された数百人の外国人記者がいるが、中国政府は「感染防止」の名目で、記者たちを北京に足止めにした。4月まで、日本人記者たちを含めた全員の外国メディアの記者たちは、中国官製メディアを引用することしか報道できなくなった。
そのうえで、真相を暴こうとする外国メディアに対しても大きな圧力を加えた。中国政府は3月中旬、米紙ニューヨーク・タイムズ、ウォールストリート・ジャーナル、ワシントン・ポストの記者らに対し、10日以内に記者証を返還するよう求め、実質上の国外退去を命じた。