まだある。1990年1月4日、釜山洛東江辺オムグン洞555番地の葦の森で無惨な遺体が発見された。頭蓋骨が粉砕骨折し、被害女性の脳の一部を肉眼で見ることができるほどだったという。
事件発生から2年後、2人の容疑者が検挙された。捜査当局は、検挙された2人のうち、体格の大きいチェ容疑者が角材で被害者を殴打したあと、体格の小さいチャン容疑者が石を利用して殺害したと断定。
ここでも、自ら2人の容疑者の弁護を買って出たのが文在寅だった。
文在寅は、チャン氏が凶悪犯罪を犯すことができる人物ではないと強調。チャン氏の視力が障害に近いほど悪かったと主張した。一方、チェ氏は「警察の『容疑を認めれば過酷な行為をしない』という甘い言葉にひっかかった」と供述し、容疑を否認した。しかし、どちらも検察が提示した証拠に対する明確な反論はほとんどされず、結局、2人には殺人などの罪で無期懲役が言い渡された。
凶悪殺人犯たちの弁護を多く引き受けるようになったのは、「偶然で運命的だった」と文在寅は言う。本当にそうなのだろうか。
他の弁護士が弁護を躊躇する大型事件を買って出たのは、彼の人権派弁護士としての使命感などでは決してない、と私は思っている。
たとえば、東義大事件では反政府意識の強い大学生たちや若者層の心理を利用し、自分の社会的な存在感を高めようとする思惑があったのではないだろうか。
文在寅は、理由もなく無惨にも殺された被害者たちの苦しみと痛み、悲しみ、悔しさを考えたことなどなく、自らが注目され、その存在感を高めるためなら殺人犯すら利用する。
北朝鮮の非核化やノーベル平和賞を夢見、南北連邦制統一という妄想を平然と語り、2千500万人もの北朝鮮の人民が経験している痛みと苦しみを、世紀の極悪殺人魔である金正恩と手を取り合って楽しみながら嘲笑している残忍な人間である。
なぜ、私がこう断言できるのか。それには明確な根拠があるからだ。
文在寅一味がひた隠す22人の脱北者殺し
2008年2月8日、盧武鉉政権末期、青瓦台秘書室長だった文在寅は、韓国に逃れてきた22人の脱北者を北朝鮮に強制送還し、見殺しにした事件を指示した当事者である。
2月8日、黄海にある延坪島付近をゴムボートで漂流していた脱北者22人が韓国海軍に救助された。
22人のうち男性が8人、女性が14人で、15~17歳の学生も3人含まれており、親子、夫婦、叔父などのグループだった。彼らは北朝鮮の鉄山郡東倉里の水産事業所、協同農場などで労働者として働いていた、と韓国の国家情報院(国情院)は明らかにしている。さらに国情院によると、「22人はみな牡蠣漁で金儲けをするために1月7日午前7時30分頃、動力船が引くゴムボート2隻に分乗して、5キロほど離れた近くの砂島に出航した」という。
しかし、学生を含む22人が、旧正月という名節(祝日)の日に牡蠣を取りに行くなど、常識的に考えてありえるだろうか。それもゴムボートに乗ってだ。北朝鮮では、ゴムボートは特殊な兵種(海上狙撃)のような軍部隊で訓練用にしか使用できないことになっている。軽量でスピードが出ることから、脱北に使われやすいためでもある。ゴムボートに乗っている時点で、韓国政府は彼らが漁民ではなく脱北者だ、と当然理解していたはずだ。