文在寅は韓国で人権派弁護士として知られ、韓国の民主主義のために戦って獄中生活までしたと伝えられている。しかし、彼はその経歴とはまったく逆の鬼畜のような蛮行を繰り返してきた。文在寅が人権派弁護士という仮面をかぶって、どんな蛮行を働いてきたか──。
1996年8月、南太平洋上で操業中のホンジュラス船籍のマグロ漁遠洋漁船ペスカマ号で船上反乱が起きた。6人の中国人船員(朝鮮族)が韓国人船員6人を含む11人を斧と包丁、鉄パイプで襲い、海に投げて殺害したペスカマ号事件である。
この時、極悪犯の弁護を自ら引き受けたのが文在寅だった。中国人殺人犯たちは盲腸が破裂し、手術を受けるために他の船から乗り移っていた十九歳の韓国人船員と、殺人に反対した同じ朝鮮族の船員まで躊躇なく殺した。
このような残虐な殺人者らを、文在寅は「韓国人船員たちの暴圧に対する正当防衛の行為だ」と弁護したのだ。その一方で、殺された被害者本人はもちろん、未来と幸せを一瞬にして奪われたその被害者家族たちの保護には一言も言及しなかった。
結局、裁判では犯人たちに死刑と無期懲役の判決が下された。
殺人犯を祀り上げる
これだけではない。1989年5月3日、釜山にある東義大学で学生によるデモが発生、その鎮圧にあたっていた警察官・戦闘警察官(機動隊員)合わせて7人が焼死し、学生を含め11人が重軽傷を負った東義大事件が起きた。
東義大学の学生たちが入試不正の真相究明を要求したことに端を発したデモは、5月1日のメーデーを経て、火炎瓶が投げられるなど、過激化の様相を帯び始める。
翌2日には、学生たちが警察官5人を人質に取り、中央図書館に監禁。彼らを救出するために、警察官・戦闘警察約600人が図書館の7階から突入し、その際、学生たちが撒いた石油とシンナーに火炎瓶の火が燃え移り、7人の警察官・戦闘警察官が命を落とした。
検察は、現場に火炎瓶を投げて放火した主犯のユン氏に死刑を求刑。このユン氏の弁護を引き受けたのも、文在寅だった。
文在寅は引火性物質を積み上げた場所に火炎瓶を投げ、警察官らを焼死させた殺人犯を弁護する一方、暴力的なデモを鎮圧しようとした警察官を犯罪者扱いし、「警察関係者に業務上過失致死の責任を問わなければならない」と主張した。
結局、ユン氏には無期懲役の判決が下されたが、彼はのちに文在寅によって民主化有功者(民主化運動関連者)として祀り上げられる。
文在寅は2000年10月12日から2001年11月30日まで、民主化運動関連者名誉回復および補償審議委員会(民補償委)の審査分科委員を務め活躍した。民補償委は2001年10月29日に、東義大事件で有罪判決を受けた9人を民主化有功者として認定し、2002年4月27日には46人を民主化有功者として認定した。
文在寅らによって、殺人犯たちが民主化有功者に祀り上げられたのだ。