金正男は、それまで党と軍で順調に後継者としての修行を重ねてきた。そうして2000年、史上初の南北首脳会談(金正日と金大中)の際、北朝鮮側の密使として会談を成功に導く大役を果たした。その功績で、金正男は後継者の座をほぼ手中にしていた。これに高英姫と軍部が危機感を募らせた。
金正男が後継者に決まれば、高英姫の息子2人は邪魔者となる。不要な脇枝として「伐採」されかねない。そこで、高英姫は金正男を後継レースから追い落とす「禁じ手」の大博打を打つ。
金正男が夫人と息子を同伴して偽造旅券で日本(東京ディズニーランド観光)に出掛ける機を捉え、日本当局に「事前通報」した。そうとはいえ、苦し紛れの作戦なので、成功の確率はゼロに近かった。
金正男が偽造旅券で海外へ頻繁に出向く事実は、各国の情報機関の間では周知の事実だった。情報機関の要員は金正男を尾行するだけで、決して逮捕しなかった。好きに泳がせておくほうが情報収集に役立つからである。金正男自身も、その辺りの事情を十分に承知のうえで行動していた。
それでも、高英姫は「何かの間違い」で日本当局が金正男を逮捕する可能性に一縷の望みを託した。わが子の行く末を案じる母の想いが天に通じたのか、実際に「何かの間違い」が起きる。日本当局が成田空港内で金正男一行を逮捕したのである。事件発生当時、筆者が密かに知り得た内幕はおよそ次のようだった。
尾行要員たちは眼前で繰り広げられる光景に驚き慌て、一斉に空港内のトイレに駆け込み、急いで携帯電話の電源を入れて本部に緊急連絡した。各国の情報機関は色をなして日本政府に真意を問い詰めた。
たとえ事情がどうであれ、この逮捕劇で金正男の経歴に大きな傷が付いた。こうして、高英姫と軍部の思惑どおり、後継者選びは「振り出し」に戻った。高英姫の狙いは、自分の息子二人が成人するまで、後継者レースを延期させることだった。
父親=金正日の不甲斐なさを激しくなじった金正男
金正男は自身の逮捕劇の黒幕を瞬時に悟った。筆者の知るところでは、強制送還先の北京に着くや、金正日に電話を入れ、妻と軍部による非行を止められない父親の不甲斐なさを激しくなじった。それ以来、身の危険を覚えた金正男は平壌に戻らず、中国当局の庇護下で亡命生活を送った。
この前代未聞の逮捕劇が北朝鮮の未来を変えた。これを機に、高英姫の神格化作業がさらに進むが、2004年に肝心の高英姫が病死して頓挫した。これが再始動するのは、金正日が脳卒中で倒れる2008年以降のことである。
だが、再始動の時には高英姫が他界していた。同時に、後継候補が長男ではなく、次男の金正恩に入れ替わっていた。そのせいで、高英姫と金正恩のツー・ショット、それに金正日を加えたスリー・ショットの動画を撮り溜める機会が失われた。使用可能な動画や写真が制限された結果、金正恩の映像が幼少期の写真数枚だけに絞られた。
苦心惨憺の末に完成させた記録映画は、上述したように高位幹部向けの試写会で酷評を浴びる。それでも金正恩は、実母の神格化作業を簡単には諦めなかった。
試写会の直後には、平壌郊外に広大な陵墓を造成して参拝道まで付けた。まるで「革命史跡」扱いである。だが実際には、ごく少数の幹部が試験的に参拝しただけに終わった。人物像も不明な陵墓では、とても大々的な参拝行事は強行できない。高位幹部が記録映画を酷評したのと同じく、「失うものばかり」である。
「片肺飛行」の金正恩
権力世襲の金正恩政権は、父親の神格化だけで、母親の神格化作業は動かない。根本的な欠陥のせいで、本格的な再始動は今後も見込めない。おかげで、金正恩政権の正統性は推力不足の「片肺飛行」である。
体制保証の動力源である「革命血統」──。金正恩はその推力不足を別の価値観で補うつもりのようだ。経済改革による経済成長の実現、つまり消費文化の導入がそれである。そのための呼び水が「非核化」である。