米国最大のマイノリティー
人間は「化ける」。国も「化ける」。日本はしばしば「化けて」来た。脱亜入欧で「欧化」し、戦後は「アメリカ化」した。かつて、日本人は「総白痴化」したと嘆いた評論家がいた。独立後の韓国は「脱日本化」を志向した。フランスと言う国は「ラテン化」したゲルマン人が築いた。「ラテン化」しなかったゲルマン人はドイツを築いた。近代ロシアでは、「西欧化」を志向する勢力とそれを拒否する保守勢力の間の激しいせめぎ合いが続いて来ている・・・。
「化ける」と言う点では、米国も負けてはいない。特に、トランプ2.0になってから、米国は混迷を続け、「本来の米国」とは「別人」になりつつあるようだ(=米国の「非米国化」;otherization of the US, de-americanization)。では、どんな「別人」になろうとしているのか?
本稿では、現下の米国では①「ラテンアメリカ化」、②「第三世界化」、③「19世紀化」、④「親ロシア化」と言う4つの「別人化」が進行中との見立てに立ち、それらをキーワードに、トランプ下の米国混迷の本質に迫る。
トランプ氏は、この4つの「別人格」(ペルソナ)に取りつかれた天才であることを見究めないと、かれの「革命」の本質は見抜けない。
① 米国の「ラテンアメリカ化」 (以下、ラ米化)
米国の多くの都市は、ラ米からの移民に満ち、スペイン語を耳にすることが少なくない。ラティーノ人口は、黒人を凌駕し、米国最大のマイノリテイーとなった。ラ米的なものは、今日の米国社会に浸透し、日常の一部をなす。そのような背景もあってか、近時、「米国は『ラ米化』しつつある」との見方が聞かれる。
たとえば、ファイナンシャル・タイムズ(FT)のM.ウルフ氏は、こう断じる。過去40年の間に米国や欧州の幾つかの国では貧富の格差が大幅に拡大、所得分配状況が「ラテンアメリカ的」になって来た。それにつれて、かれらの政治も「ラ米的」になって来ている、と。
更に、氏はラ米的なものとして、著しい不平等、脆弱な統治機構、ずさんな経済運営、ポピュリズムへの傾斜、政治の不安定性などを示唆する。
ペルソナリスモの肥大化
「ラ米化」の極めつけは、トランプ政治に見られる「異常なまでの『個人色』」だ。ラテンアメリカでは、政治・統治面に「個人色」が入り込むことを容認する政治風土がある。
「ぺルソナリスモ」(personalismo)と呼ばれるこの風土、ラテンアメリカでは珍種ではない。大まかに言って、政府機構が弱いラ米では、政治はペルソナリスモ色が強いものになりがちだ。ただ、適当な訳語がないので、本稿ではスペイン語のまま表記する。
他方、日本、西欧、(本来の)米国などの先進地域は、基本的には、政府機構がしっかりしており、政府は制度上のルールに従って統治するものとされている。大統領や首相と言へど、個人的嗜好、情念、思い付き、恣意等によって国政を著しくバイアスさせるべきではないとされている(「制度主義」:institutionalism)。この制度主義が強いため、ペルソナリズムは抑制されている。
制度主義が強い事例と言えば、日本をおいてない。日本では、制度主義が強すぎる(よって、ペルソナリスモが抑えられ、政治判断はしばしば柔軟性を欠いたものとなる)と見る学者が少なくない(第1類)。
その対極にあるのが(一部)ラ米諸国だ。ペルソナリスモが強く、制度主義は抑え込まれている(第3類)。トランプ2.0下の米国もこの範疇だ。この両極の中間に西欧、韓国などがいる(第2類)。制度主義が基本であるが、ペルソナリスモも略々許容されている。(本来の)米国も同様だ。
此処で重要な点は、米国の変貌ぶりだ。米国では、本来は制度主義が根付いていた(第2類)が、トランプ2.0になって、ペルソナリスモの肥大化と制度主義の後退が激しく進み、ラ米的と言える第3類にシフトした。まさに、米国の「ラ米化」が起きたと言うことだ。

