当時政府は東日本大震災後の電力需給逼迫を受け、日本全国の自治体に対して再生可能エネルギーの普及に向けて「スマートシティ計画」なる事業を推奨し、具体的なプランを立てた自治体に対しては国土交通省都市局が事業認定を行い、補助金を交付していた。
大阪市は2010年度から再生可能エネルギー事業については「夢洲地区ではメガソーラー」「咲洲地区では分散型太陽光発電事業など」と棲み分け、具体的な事業計画を策定していた。
そして咲洲では「咲洲地区スマートコミュニティ実証事業」を策定、分散型太陽光発電については、埠頭内の4か所で分散型太陽光発電の実証実験を行うことを決め、国土交通省に「スマートシティ計画」として報告して補助金の交付を受けた。
そしてこの「咲洲地区スマートコミュニティ実証事業」は関西3府県3市(京都府、大阪府、兵庫県、京都市、大阪市、神戸市)が策定した「関西イノベーション国際戦略総合特区」の基幹事業としても経済産業省に報告され、その結果、2012年3月9日には特区認定も受けている。
橋下徹氏が市長に当選したのは、2011年12月19日だ。だから橋下氏は府知事時代から積極的に関与していた「関西イノベーション国際戦略総合特区」について、今度は大阪市長として「咲洲地区スマートコミュニティ実証事業」を行うことを前提として、政府から特区の承認を受けていたのである。
ところが、咲洲での分散型太陽光発電実証実験の予定地のうち、1か所だけ計画が白紙撤回された。それこそが、現在、上海電力日本がメガソーラー発電事業を行っている土地なのだ。
国土交通省に計画の詳細を報告した上で補助金の交付を受け、しかも他府県他市と共同で提出し承認を受けた「関西イノベーション国際戦略総合特区」構想にも記載されていた実証実験を変更すれば、補助金が交付されなかったり、特区認定の撤回という最悪の事態もありえた。
国に報告し補助金受給の根拠となったプロジェクトの一部白紙撤回というリスクの高い計画変更を、橋下徹市長以外の誰が決めることができたというのか。
咲洲など大阪湾でのメガソーラー事業について2012年9月19日、橋下徹市長はこんな発言をしていた。