しかし、橋下前市長は書簡で次のように述べている。
〈第二次世界大戦前から大戦中にかけて、日本兵が『慰安婦』を利用したことは、女性の尊厳と人権を蹂躙する、決して許されないものであることはいうまでもありません。
本人の意に反して、戦地で慰安婦として働かされた方々が蒙った苦痛、そして深く傷つけられたお気持ちは、筆舌につくしがたいものであることを私は認識しています。
ですから、私は、いかなる意味でも、慰安婦の問題を正当化する議論には与してきませんでしたし、これからも与しません。日本は過去の過ちを真摯に反省し、慰安婦の方々には誠実な謝罪とお詫びを行うとともに、未来においてこのような悲劇を二度と繰り返さない決意をしなければなりません〉
このように書いてしまうと、たとえその意図が「反省と誠意あるお詫び」を強調するものであっても、慰安婦制度が碑文に記されているような「強制連行と性奴隷化」を伴う残酷な制度であったと告白しているのに等しい。
このあとに、「ただし日本の事例のみをとりあげることによる矮小化は、世界各国の問題解決につながらない」と続けても、言い訳がましく聞こえてしまうのである。
そもそも橋下前市長は、慰安婦制度とはどのような制度だったと考えているのか? あとに続く詳細な反証を見ると、「強制連行による数十万人の性奴隷化」だとは考えていないはずだが、では慰安婦制度とはいったい何だったのかという議論の前提となる定義が抜けているせいで、熱意ある議論が竜骨のない船のような構造になってしまっている。
これは日本政府もまったく同じなのだが、慰安婦制度を「女性の尊厳と人権を蹂躙したもの」と漠然と定義してしまっている。そのように定義してしまったら、相手の非難を全て受け入れたように聞こえてしまい、その後の議論を自ら無力化してしまうのである。
人間関係重視の平和社会に住む日本人は、本能的に「誠意ある謝罪」から入り、まず信頼関係を構築してから議論しようとする。その結果、国際的には理解不能な自己矛盾をきたしてしまう。
国際社会では、謝ったらそこで議論は終わるのだ。始まるのではない。
繰り返される敗北パターン
外務官僚から弁護士まで無意識的にこのパターンを繰り返す姿を見て、歴史戦とは同時に文化戦であることを思い知らされる。
女性への深い同情を示すことは重要で大前提ではある。しかし同時に、「そもそも慰安婦制度とは何であったか、なぜ法的責任を負うものではないのか、にもかかわらず、なぜ謝罪して補償したのか」という基本事項に関する立論を、一次資料に基づいて淡々と行うことが肝要だ。
それは静かでドライな表現でよい。適切な英語に訳すことが困難な情緒的で曖昧な表現は有害無益でしかない。立論は「言って気持ちがいいことを言う」のとは違う。チャレンジでもない。相手の考えとは無関係に、自らの立ち位置を明確にすることにほかならない。それは緻密かつ明快で、誤解を生む余地を残さないものである必要がある。
立論のない反論は、ハンドルのない車のようなものだ。目的地に辿り着けない。だから反論よりも立論が大切なのだ。この基本的なことをやらないから、韓国に行ったオバマ前大統領に「何が起きたのか、正確で明快な説明が必要だ」と言われてしまったのだ。弁護士である橋下前市長と吉村市長には、どうか理解していただきたい。
その後、2回にわたって、橋下前市長はリー市長個人宛に公開書簡を送付する。しかし、返事がくることはなかった。
2017年に入り、後任の吉村市長からリー市長に、内容を簡潔にした公開書簡が送られる。リー市長は即座に返答し、2人の交信が始まる。残念ながら、リー市長の姿勢は彼の次の一言に尽きる。
「公選の職にある者として、たとえ批判に晒されることがあろうとも、地域に対して応えていくことが私の責務である」
リー市長は、最後には自ら進んで像と碑を公共物として受け入れる署名をした(リー市長は2017年12月12日に心臓発作で急逝)。人々が道理で動くなら、慰安婦像は建たない。だから公開書簡というものは、常に第三者の目にどう映るかを最大限意識して、受領者を説得すること以上に、国際世論を味方につける目的で書かれなければならない。それが公開することの目的だ。