だが、マハティールの首相電撃辞任、61年ぶりに政権交代を果たした与党連合「希望連盟」政権崩壊の真相の裏側には、さらなる隠された“トリック”があった。
実は、今回の電撃的政変は、2018年5月の政権交代当時から、念入りに計画されていたと筆者は見ている。その首謀者は、61年ぶりに野党に転じ、辛酸を嘗めさせられた「統一マレー国民組織」首脳陣だけでなく、それを背後から強く推し進めた「国王」や「スルタン(州王)」の存在があったと考えられる。つまり、「統一マレー国民組織」、ムヒディン、アズミンら首謀者は、王族と結託していたのではないか。(マレーシアの国王は9つの州の君主にあたるスルタンが持ち回りで務め、任期は5年)
筆者は、政権交代直後、ブトラジャヤにある情報省に、ある人物に会う約束をしていたため、同省のビルで待機していた。そこに、ある初老の男性が近づいてきて、こう切り出した。
「あなたは、記者証を下げていることから、ジャーナリストだね。どこのメディア? マハティールの次に誰がマレーシアの首相になると思う?」
この問いに対して、筆者は「日本のメディアです。次の首相はアンワルでしょう」
彼は静かに微笑み、「アンワルは首相にはなれないし、ならない」と言い放った。
実際、マレーシアではアンワルは違法な同性愛者と見られており、汚職などの罪でも投獄された。61年ぶりの政権交代により、マハティールの働きかけで、国王から恩赦を受け、晴れて自由の身になったとはいえ恩赦とは、無罪を勝ち得たわけではない。「犯罪者」が国家元首になる、そう解釈すれば、なかなか難しいとも実際思った。
しかし、いささか、彼の断言に驚きを隠せなかった。すると彼はこう続けた。
「次期首相はムヒディンだよ」
「なぜですか?」
「そうなるんだ、決まっているんだ」
そう言って、立ち去ろうとしたので、連絡先を教えてほしいと言うと、「こちらから連絡する」というので、筆者は名刺を渡した。しかし、連絡はそれ以来なかった。
後に、その人物はジョホール州の「統一マレー国民組織」の幹部だとわかった。ジョホール州といえば、ムヒディンの選挙区で、同州のスルタンのイブラヒム・イスカンダルは、マハティールと犬猿の仲で知られる。マハティールは、特権をほしいままにする王族の権限を縮小する王制改革を進めたことは前述のとおりだが、ジョホール州は、かつてはジョホール王国を築き、マレーシアの9州のスルタンの中で最も権威があるとされ、現在のシンガポールを所有していた。今でも、シンガポール政府は水や土などをマレーシアから買っているが、ジョホール州のものだ。
日本の業者や企業が参入した開発事業「イスカンダル計画」を始め、州内でのビジネス事業などは、スルタンによるビジネス認可などが必要だ。また、ジョホール州のイスカンダル州王はマレーシアのスルタンで唯一、独自の軍隊を保有するなど、マレーシアのスルタンの中でも資産家として突出し、首相や政府に対しても強力な政治力を誇示していることでも知られてきた。ちなみに、アンワルは政権樹立直後、深夜にイスカンダル州王に呼ばれ、接見している。
かつて、在マレーシアの日本大使を務めた堀江正彦大使は、毎月のようにジョホール州のスルタンに接見し、同州の歴史などを『月刊文藝春秋』に寄稿し、その記事のコピーを日本企業のトップなど関係者に配布していた。
そんな中、マハティールは、権力や常識や批判に屈することなく自らの考えや価値観を信じ、英断する「孤高の人」(参照:末永恵著「月刊Hanada」2019年10月号「マハティール成功の鍵は日本愛」)として自他ともに認め、ジョホール州のスルタンに対しても、王制改革を断行した。
マレーシアではスルタンや国王に対する批判は今でも違法とされる。スルタンや国王は豊富な財力と強い権力を持つ一方で、憲法で政治的行為は禁止されている。だが、今回の首相任命でも、アブドラ国王の“政治的関与”が政変を大きく左右したことは事実だが(そのため憲法違反を指摘する見方も国内で出ているが、批判は違法のためそうした声は大きくならない)、アブドラ国王はムヒディンが「下院の過半数の議員の信任を得ていると判断」したと発表しただけで、その他、具体的な数字や個々の議員の政党や氏名には一切触れていない。
一方、イタリアやシンガポールの大学で准教授として教鞭をとり、現在、国立台湾大学の上級研究員を務める東南アジアの政治研究専門家、ブリジット・ウエルシュ博士は筆者のインタビューで、「アブドラ国王は、ムヒディンが下院議員の過半の信任を得ていると発表したが、私は懐疑的だ」と断言している。
アブドラ国王は、マハティールが打倒したナジブ元首相の出身州パハン州のスルタンでナジブとは長年の懇意。しかも、ジョホール州のイスカンダル州王の実妹が女王で、アブドラ国王ははイスカンダル州王の義弟にあたる。
また、本来なら、輪番制でイスカンダル州王が国王に就任するはずだったが、「マハティールを嫌って、警戒したのか」(マレーシア野党関係者)、就任を先送りし、結果、義弟のアブドラ国王が就任した。
歴史的に「統一マレー国民組織」政権と親密な関係だったジョホール州のスルタンは、自分の手を汚すことなく、マハティールとの直接対決を避ける一方、王経験も初めてだった義弟に指示、操作を促した、とも言われている。アブドラ国王の任期は、次期総選挙実施期限の2023年までだ。
筆者はこうした背景や経緯から、今回の政変が、世間で言われているような電撃的な政治的クーデターではなく、ムヒディンとアズミンらが王族と結託した綿密に計画された政変だったと見ている。
「キングメーカーになりえる」闘志を燃やす95歳の戦士
結果、国王から“お墨付き”をもらったムヒディン新政権は3月に発足。ナジブ元首相らが所属する「統一マレー国民組織」と与党連合を形成するものの、政権基盤は極めて脆弱で、与党連合内の勢力争いに苛まれてきた。いまムヒディン新政権は、かろうじて下院の過半数を得ている状況で、与野党の勢力は拮抗している。2020年7月、マハティールらが求める首相不信任決議案の採決などを先送りするため、与党が下院議長差替え動議を提出した際も、たった2票差の薄氷の可決だった。
こうした状況は、ここ10カ月間続いており、与党連合の中核をなす「統一マレー国民組織」から政権離脱のプレッシャーを常時かけられている「綱渡り政権」なのだ。
2021年の予算案は、国王が国会議員に承認を目指すよう異例の憲法違反とされる政治的声明を出したため、反対者はマハティールら13人の議員に留まり、予算案は結果的に通過した。
これでムヒディン政権の早期退陣の可能性は低くなったとも思えるが、それでも今後、一部の議員の離反で、与党連合が過半数割れを強いられる政権危機を迎えないとも限らない。
一方、マハティールは2020年8月に新党を立ち上げたものの党員はわずか4人。ムヒディン政権も野党連合のアンワルもマハテールを支持しておらず、政界で“一匹狼”的な少数派に陥っている。
だが、95歳の戦士は「与野党連合が、安定的過半数を維持できない中、少数政党がキングメーカーになりえる余地はある」と闘志を燃やしている。
マレーシアの政変の混乱は今後も止むことがなく、マハティールも、与野党再編や政権交代で、マレーシア政界で再び主導権を握れるか、眼光鋭く、狙っている――。
こうした緊迫した政治情勢の中、マハティールは、筆者の単独インタビューに応じた。
権力にしがみつく新政府
現役の首相時代の忙殺的な職務やミッションから離れ、以前よりまして意気軒高のマハティール氏。インタビュアーの筆者は、95歳の年を感じさせないオーラと覇気を肌で感じとった。世界が認めるアジア政界の巨人だ(クアラルンプール、マハティール氏の執務室。報道秘書官、マレック・レズアン氏撮影)