国際平和と友好の象徴、スポーツの祭典とされながら、五輪はいつも高度に政治利用されてきた。いま留意すべきは、約1年後、北京冬季五輪の成功を介して勢力拡大を目指す中国共産党政権の目論見である。
東京五輪・パラリンピック組織委員会前会長、森喜朗氏の発言への内外の激しい反発は、北京五輪に敷衍(ふえん)して考えてこそ、意味がある。「女性の多い会議は時間がかかる」との発言は「女性蔑視」で、五輪憲章の精神に著しく反するとされ、森氏は謝罪し辞任した。発言は確かに不適切だった。だが、北京五輪を構える中国政府の所業は究極の異次元にある。
ウイグル人抹殺を許すな
北京政府は100万人規模のウイグル人を厳しい監視下に置き、信教、思想、言語、文化においてウイグル人からあらゆる自由、あらゆる民族的特性を奪い去りつつある。ウイグル人女性たちは毎晩のように連れ去られ、兵による集団レイプを受けている。ウイグル人は男女を問わず、多くが避妊手術を強制され、中国共産党の民族浄化作戦に搦(から)めとられている。
米国では共和党も民主党もこうした現実をジェノサイドと認定し、人道に対する罪だと厳しく非難している。ポンペオ前国務長官は2月16日、北京の所業は五輪精神に悖(もと)るとして、冬季五輪の開催地変更を国際オリンピック委員会(IOC)に提案すべきだと語った。1月22日には米上院で共和党7議員が同趣旨の決議案を提出した。
日本も国際社会もかつてと同じ間違いを繰り返してはならない。2008年の北京五輪のとき、世界は中国共産党によるチベット弾圧に事実上目をつぶった。それ以前の1989年には、天安門で学生や市民多数を殺害した北京政府に対する制裁に、わが国は最も消極的だった。寛容な対応は北京政府をより良い道には導かず、逆に彼らの弾圧を強めさせただけだった。
漢民族、異民族を問わず、共産党政権は一党独裁体制を守るために血の弾圧に走り続けた。チベット、ウイグル、モンゴル、香港。その事例には事欠かない。日本も世界も中国市場の大きさに幻惑され、或いは深い歴史と文明に魅了され、共産党政権の独裁性、非民主性、残虐性、国際法違反に異を唱え得ず、今日の状況を招いた。責任の半分は私たちの側にある。