現代の「アゴラ」
民主主義の始まりは、古代ギリシャ、アテネの公共広場(アゴラ)だった。市民がアゴラに集まり、政治を語り、問題を議論した。21世紀最大のアゴラは、間違いなくインターネットだろう。
そしてツイッターなどのSNSの出現によって、ネット上での議論はより活発になった。
私がツイッターを新しいメディアとして意識したのは十年前、東日本大震災のときだ。
地震発生当初、通信規制などによりケータイやメールが使えなくなり、家族と連絡を取る手段が絶たれた。
その時、唯一の頼りは、数年前から日本でもはやり始めていたツイッターだった。ツイッターのタイムラインを見ると家族の書き込みがあり、皆の無事を確認できた。
また、日本で起きたことが少しずつわかってきた。ツイッターにアップされた津波、福島第一原発事故の様子は、3・11の地震の恐ろしさを生々しく伝えた。
途中に誰のフィルターも通さず、自由にアクセスができ、いままでの政治の「色」がついているメディアと違い、ツイッターは右左関係なく自分が自由にニュースフィードをデザインできた。
その、私たちにとってのアゴラだったネットが、いま“ネット財閥”(本稿では、グーグルやツイッターなど大手IT企業をあえてこう呼ぶ)によって危機に瀕している。
ツイッターとフェイスブックはトランプのアカウントを永久停止した。公共広場を管理するのは両社の役目だが、気に入らない誰かを「入場禁止」にするのは民主主義に反してはいまいか。
リベラル派である民主党の政治家たちはそのことを理解しているから、トランプのアカウント停止を批判するだろうと思ったら、むしろ歓迎したから驚いた。
一方、米国以外のリベラル派の政治家は、トランプのアカウント凍結を毅然と批判している。ドイツ政府のザイベルト報道官は1月11日の定例記者会見で、メルケル首相の見解を明らかにした。
「言論の自由は優れて根源的なものだから、トランプのアカウントの永久停止は問題だ」
「言論の自由を妨げる決断は、民間企業ではなく、政府が決断するべきだ」
リベラルとして真っ当な意見だろう。
ネット財閥へ天下る民主党議員
自称リベラルによる“検閲”は十年ほど前から始まっていたが、激しくなったのは「♯Me too」運動からだろう。
自称リベラルは、過去にセクハラ疑惑がある芸能人や政治家を糾弾、SNSのアカウント停止を呼びかけた。
米国の若者では、著名人の過去の発言や行動、SNSでの投稿を掘り返し、時代背景を無視して問題視し、糾弾する現象のことを「キャンセル・カルチャー」(取り消し文化)と呼んでいる。過去に遡って検閲しているようなものだ。
糾弾された人々のやったことは、たしかに褒められたものではないかもしれないが、アカウントを停止させ、発言の場を奪うようなことはやりすぎだった。しかし、ツイッター、フェイスブックなどのネット財閥は、その動きを静かに支えてきた。
トランプはマスコミというフィルターを飛ばし、ツイッターで支持者に直接に語りかけることで、対抗馬だったヒラリーと差をつけたと言われる。
民主党はそこから学び、今回の大統領選ではネット財閥を利用したフシがある。
昨年11月の選挙前、『ワイアード』誌は、シリコンバレーのネット財閥社員による政治献金の95%はバイデンに渡っているという衝撃的な調査結果を発表した。
そのため、「ネット財閥はバイデンのために働いていたのではないか」という疑いが持たれている。たとえば、保守系のブライトバート・ニュースは、選挙の1カ月前にグーグル検索に直接入力しても1ページ目には表示されず、2、3ページ目までいかないと表示されなかったというのだ。
そもそも、ネット財閥と民主党の距離は近い。ツイッターの本社はサンフランシスコ、フェイスブック、グーグルはシリコンバレーで、民主党の強力な地盤だ。そのため、ネット財閥に天下る民主党の政治家は多いという。
ネット財閥が言論の自由を破壊しているとすれば許されざることだが、自称リベラル派のエリートたちがトランプを恐れ、それを正当化するのであれば、問題はさらに深刻化するだろう。
(初出:月刊『Hanada』2021年3月号)