「マレーシアの黒い民主主義」の幕開け
国王はなぜマハティールを任命しなかったのか。第4代首相時代、所属政党「統一マレー国民組織」総裁として議会の3分の2以上を治める絶対的権力を保持していたマハティールは5回の総選挙に打ち勝ち、「マハティール王国」を築いていた。その際、浪費や贅沢癖から脱却できない王族の特権という“羽”を刈り取っていったのだ。つまり、王族が最も嫌う国家元首がマハティールだった。過半数があろうがなかろうが、国王からしてみれば、二度と首相に任命したくなかったのもマハティール。
頭文字は「M」はMでも、第8代の新首相はムヒディン(Muhyiddin)だろうことはメディアだけでなく、国民も察していた。しかしそれは、2018年5月の総選挙で敗れ野党に転落した「統一マレー国民組織」が、国民の負託を受けず、再び、政権に返り咲くという「マレーシアの黒い民主主義」の幕開けを意味した。
しかし、最も不可思議なのは、マハティールがなぜ首相を自ら辞任したかだ。2月の政変から1年が経とうとするが、マレーシアではいまだに、この疑問がメディアや国民の間で話題となっている(今回の単独インタビューでも率直にその疑問をぶつけた)。マハティールの回答とは異なるが、辞任の舞台裏の最も有力な理由は、やはり、「マハティールはアンワルに首相の座を譲りたくなかった」ということに尽きると筆者は見ている。つまり、前述したとおり前政権ではアンワルに首相の座を禅譲する選挙公約が立ちはだかった。なので、同政権が崩壊すれば、マハティールはアンワルを後見人に選ぶ約束を果たす必要がなく、新しく誕生する政権でワンマン内閣をかつてのように掌握できると踏んでいた。しかも、ムヒディンとともに自分の信頼するアズミンの2人に首相の再登板を委託され、国王もそれを承認すると踏んでいた。ところが、そうは問屋が卸さなかった。
2人に裏切られるとは思っていなかったマハティールの誤算だった。アズミンは今月(2020年12月)、地元のメディアインタビューで「2月の政変の立案者はマハティールだった」と暴露。当然、マハティールは否定するが、国民の多くは、マハティールが背後にいた、と疑っている。
2020年2月25日、当時の与党連合が崩壊した状況を報じる地元紙(筆者・末永恵撮影)
仕組まれた政変、首謀者たちは王族と結託していた!?
ジョホール州王のイブラヒム・イスカンダル氏(筆者提供)