取り調べ官らの態度に憤慨し、「祖国愛も一気にさめる思いだった」という劉氏は、次のように語った。
「たしかに、王毅大使には岡山で講演をしてもらった。しかし、事務方の仕事に忙殺され、当日も講演内容を詳細に記憶するほどじっくり聞いていないし、祖国に対して不都合な話題が出たわけでもない。また中国の正月を祝う春節祭や、建国記念の国慶節といった総会関連行事の日程、式次第を総会事務局が日本の公安、外事当局に提示したところで、公開情報ばかり。何が問題なのかさっぱりわからなかった」
「ただ王毅氏のことを繰り返し聞かれたので、狙いはそこか、と察しはついた。『いつからのつきあいか』 『何回くらい会ったか』 『何度電話で話をしたか』など。知らんがな、そんなもん! いちいち覚えてないですよ。理由は何であれ、とにかく私を拘束し、脅して取り調べれば何かしら王毅氏の弱みが握れるかもしれないと見込み、勇み足による拘束だったのだろう。途中ポリグラフにもかけられたが、自分自身に強い意思がなければ、王毅氏の失脚などにつながるような話に無理やりこじつけられ、彼らが考えた筋書きどおりに取り調べが運んだかもしれない……」
北京市出身で、北京第二外国語学院で学んだ王毅氏は、英語、日本語に堪能で、2004年から07年まで駐日大使を務めた。習近平氏が国家主席に就任した13年には、党の「エリート養成機関」である共産主義青年団(共青団)出身の李克強国務院総理(首相)のもとで外交部長(外相)に就任。また、18年には国務委員にも就任した。
一方、中国共産党の古参幹部を父に持つ太子党出身の習氏は、大規模な汚職撲滅キャンペーンを展開。そのなかで、上海閥の中心・江沢民元国家主席に近いとされ、胡錦濤(共青団)時代に政治局常務委員を務めた周永康氏が、同ポスト経験者は汚職摘発されないという不文律を破って逮捕、党籍剥奪され、無期懲役判決を受けるケースもあった。一連の「反腐敗」運動の背後には、太子党、共青団、上海閥が入り乱れた権力闘争の一面が指摘されており、王毅氏もこの延長でターゲットとされ、身辺が調査されていた可能性がある。
2020年8月30日から9月4日、東欧チェコのミロシュ・ビストルチル上院議長率いる約90人の同国訪台団が、中国の反発のなか、専用機で台湾を訪れ、上院議長は蔡英文総統とも会談。互いに民主主義の価値観に基づいて協調していくことを確認しあったが、これに対し王毅国務委員兼外相は、チェコに「深刻な代価を払わせる」と猛反発した。
この言動に、日本のチャイナウオッチャーらは、中国が対外的に強圧的な「戦狼外交」を展開している点に絡め、「(あの有能な外交官だった王毅氏も)いまや力の外交をするだけの『戦狼王』に成り下がった」と嘆息をもらしたが、習指導部に徹底的に身辺を調べ上げられた結果、がんじがらめになっている可能性もありそうだ。
相次ぐ日本人拘束
劉勝徳氏と同時期には、法政大学の趙宏偉教授や、立命館大学の周瑋生教授が同様に中国で一時失踪状態となり、数カ月後に日本に戻った。
このうち、筆者がよく知る周氏は浙江省出身。
「立命館孔子学院」の初代院長を務め、2007年、当時の温家宝首相が来日の際の立命館大訪問にも尽力。複数の新華僑団体でも指導的役割を担うなど影響力が強い人物だ。
いまからちょうど1年前の2019年9月には、北海道大学の岩谷將教授(中国近現代史)が北京市内のホテルで中国当局に身柄を拘束され、日本側の強い抗議もあって2カ月あまりで解放されたことは記憶に新しいが、「反スパイ法」を制定、施行した中国では2015年以降、香港や海外で暮らす中国人だけでなく、日本人が拘束される事例も相次いでいる。
だが容疑や拘束の詳細については、中国当局の報復などを恐れてか、誰もが解放後も口をつぐんでいるのが実情で、具体的にどんな行為が法に抵触したのか、詳細は不明だ。
反スパイ法に問われて拘束された岩谷教授にも、共通の知人を介してインタビューを申し込んだが、応じてもらえなかった。このケース以降、日本の中国研究者が中国でのフィールドワークを躊躇するなど、学術交流面でも影響が出ている。
いずれにせよ、劉氏のように「祖国のためにも、おかしいことはおかしいと声をあげる」というケースは極めて稀で、日本の公安調査庁や警察の外事関係者らも、帰宅後の劉氏の言動は「注目に価する」と、調査、分析の対象としている。