スクープ!中国拘束116日はじめて明かされた全真相|吉村剛史

スクープ!中国拘束116日はじめて明かされた全真相|吉村剛史

「彼らの狙いは王毅だった」――中国で拘束された岡山県華僑華人総会のトップがはじめて明かした拘束116日間の驚くべき全貌。屈辱の“拷問体験記”!


屈辱の拘束・拷問体験記

劉勝徳氏がまとめた「拘束・拷問体験記」(撮影/筆者)

「男たちは、国家安全部所属を名乗り、『スパイ容疑で拘束600日』と告げ、以後私は24時間彼らの監視下におかれた」 「銃殺刑とか、拘束10年もあり得るなどと脅されたうえに、連日連夜の取り調べ。かつての王毅元駐日大使(現国務委員兼外相)との関係や、王毅氏が岡山講演で語った内容などを繰り返し聞かれたあげく、ポリグラフ検査(うそ発見器)にまでかけられた。彼らの真の狙いは王毅氏だった」 「完全に先入観と思い込みによる勇み足の身柄拘束。中国国内の権力闘争に巻き込まれたとしか思えない」──。  

出張先の中国蘇州市内で2016年11月に拘束され、4カ月間、中国国家安全部(省)から拷問に等しい取り調べを受けた岡山県華僑華人総会(岡山市北区)の劉勝徳会長(74)が、その“屈辱の拘束・拷問体験記”をこのほど筆者に示し、インタビューに応じた。その仰天証言の数々を初公開する。

約4カ月間にわたる厳しい尋問

劉氏は昭和21年、島根県出雲市生まれの在日華僑2世。父親は福建省出身で、家業の衣料品店は継がず、長年、中国公館とも連携して在日華僑・華人、中国人留学生の地位向上や生活、学業支援、日中友好行事や交流促進行事などに尽力した筋金入りの華僑活動家だ。30代で岡山に出て中華料理店の支配人を務め、その後、本国の支援も得て独立を果たし、一時は地元で名の通った中華料理店「天安門」の経営者となった立志伝中の老華僑で、西日本華僑・華人社会の重鎮としても知られている。

2016年11月22日、劉氏は、通訳の中国人男性と一緒に蘇州市内で身柄を確保され、約1カ月後に天津に移送。翌17年3月17日まで、計約4カ月間にわたって厳しい尋問を受けた。岡山市の自宅に帰還を果たした直後、その“屈辱体験”の備忘録として「岡山県華僑華人総会 業務訪中時 身柄拘束事件」との表題で、A4判用紙11枚分の“拘束・拷問体験記”を日本語で一気に書き上げたという。

5、6人の男に取り囲まれ「中国国家安全部です」

インタビューに応じる劉勝徳氏=2020年8月28日、岡山市内で(撮影/筆者)

その冒頭は次のようなものだ(以下文中※は筆者補足)。

〈2016年11月21日(月)岡山空港から中國東方航空を利用し、張家港市澳洋病院(※張家港澳洋医院)へ。招待総会業務打ち合わせの為、部下の姜××君(通訳=※原文は氏名ともに記録、当時の総会事務局長)と共に出発。(※中略)(※上海)浦東空港で招待病院からの出迎えの方と合流。一路病院へ。(※中略) (※病院長らからの)歓迎と出迎えを受け院内視察。 いよいよ目的である今後の(※医療ツアー)相互協力の会議に入る。
①澳洋病院国際センターは、岡山県華僑華人総会・中國旅行社との協力のもと事業展開を行う(※中略)。協議を終え歓迎宴に…。  

翌日、出発時間まで蘇州・拙政園(※世界文化遺産の明代の庭園)観光、浦東空港へ…。とのスケジュールで、朝食後、蘇州へ出発。  

小雨が降りしきる中、拙政園観光を終え、昼頃浦東へ出発しようと駐車場へ…。5~6人の男性に取り囲まれ、(※日本語で)「劉勝徳」という声が。「中国国家安全部です。少し聞きたい事があるので車に乗ってください」と指示され白っぽいワゴン車(※の後部座席)に乗り込む。助手席の男はハンディ(※ビデオ)カメラを私に向けている。両サイドを体格のいい若者に挟まれた。(※中略)姜君とは別々に車は出発。  

車内では、メガネ・パスポート・携帯を取り上げられ目隠しをされる。日本語で「安心してください。危害を加えることはありません。聞きたいことがあるので協力してください!」との声が。  

市内を20~30分走っただろうか…。降りてくださいと言われ車から降りた。案内された部屋で目隠しをはずされる。そこは、蘇州のホテル(拘束者専用)の一室。ここで1カ月過ごし、その後、天津のホテル(同じく拘束者専用だが、蘇州よりも豪華だ)に新幹線で移動し、そこで3カ月を過ごすことになる。  

取り調べの時、2台のカメラがこちらを写している。2人の尋問者、通訳、記録員が「劉さんお昼の食事まだでしょう?お腹のほうは大丈夫ですか?」と聞く。食事どころではない!早く終えてくれ!!という気持ちと、何でこんな事に?という気持ち。(※中略) (※彼らは)2枚の紙を読み上げる!「スパイ容疑!」 「600日拘束・居住監視2名がつく…」との事。私がスパイ容疑?軍事機密を探った事もなければ聞いたこともなく、話せば理解してもらえるはず! 「その紙は私に対してのもの、私にください」と言っても無視される。

「私達は天津国家安全部(※天津市国家安全局)です。あなたをスパイ容疑でいろいろ尋問します。本当のことを事実に基づいて言ってください。中国共産党は本当のことを言って反省すれば、きっと早く良い結果が出ます」から始まり、翌朝4時まで取り調べが…。少し睡眠、7時起床。8時朝食、9時半~昼まで取り調べ、14時半~17時まで取り調べ、19時半~21時まで取り調べ、22時か23時就眠。こんな状況が連日延々と続く。部屋は夜もあかりをつけ2名の監視員と一緒〉

銃殺や拘束10年もあり得る

収容施設が「拘束者専用」であるのは「造りから一目瞭然だった」という。取り調べに際し、「劉さんの場合、銃殺や拘束10年もあり得る」と脅してきた係官からは、弁護人の要不要を問われたが、官選の弁護などは無意味だと思い、「要らない」と断った。  

男たちが名乗った「天津国家安全部」(天津市国家安全局)は、日本の公安調査庁や警察の外事部門においては対日本情報工作(防諜など)も任務と目されている。実際に劉氏のスタッフに天津出身の女性がいたこともあり、在日華僑である劉氏を拘束した点でもつじつまは合う。

係官が取り囲むなか高速鉄道で天津へ移送

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劉氏によると、岡山県華僑華人総会は従来「中國旅行社」事業としてビザ発給業務を行い、一件あたり5000円程度の収入を得てきたが、習近平時代に入って以降は、東京、大阪などのビザ申請センターに集約されるようになり、手数料収入も減少。そんな折、中国江蘇省蘇州市付近にある張家港澳洋医院と協力して、中国の富裕層らに日本の高度な医療サービスを提供する医療ツーリズムの事業展開案が持ち上がっていた。  

2016年11月の中国訪問は張家港澳洋医院からの招待。同病院と医療ツアーを実施、展開するうえでの打ち合わせが目的の1泊2日の出張だったが、劉氏は「この医療ツーリズム事業の話自体が、私を蘇州に呼び出すための虚構だったのではないか」との疑念も抱いている。  

突然の拘束で通訳の男性と引き離され、蘇州・天津の収容施設で、居室と取調室を往復する休みない取り調べを受けることとなった劉氏。 「カーテンで窓の外は見えず、テレビはもとより新聞、雑誌もない。精神的にも拷問だった」  

途中、高速鉄道による天津移送の際は、自身の調べを担当する計26人の係官が取り囲むなか、一般乗客の乗車後に専用車両に乗車。施設の出発、到着時を除いて目隠しは外された。車中では駅弁も支給されたが、手をつけなかった。到着駅の構内を歩く際、自身の目で「天津西」の駅名を確認した。

24時間行動を監視

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拘束期間を通じ、男性と女性の担当医師も付いて「毎朝の血圧測定などで健康管理も行われたが、カメラと係官に24時間行動を監視され、就寝時も点灯するから明るくて眠れず、いつも毛布を頭からかぶって寝た」。  

三度の食事内容は中国の一般家庭料理風。日本生まれ、日本育ちの当時70歳の劉氏の口には「脂っこくて合わなかった」といい、「帰宅時には体重が大幅に減少していた」とも。ただし、天津の収容施設は蘇州に比べて部屋も広く、石桍やティッシュなど日用品のグレードも高く「高級幹部用に思えた」。食事も天津包子(肉まん)など劉氏にも食べなれたものが出るようになり、「随分マシだった」という。  

だが、トイレに行くにも挙手して係官に申告が必要な不自由さは変わらず、「当初の約40日間は、慣れない環境のなか、風邪などで体調を崩すことを懸念し、入浴を申請する気にもなれなかった」と振り返る。

狙いは王毅

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胸中、理不尽な思いでいっぱいだった劉氏は、「同胞を支援してきた私がなぜスパイなのか」と猛抗議したが、取り調べ官は、極刑や長期拘束の可能性をにおわせつつ岡山県華僑華人総会の元職員が日本の公安当局に公開行事日程表などを提出していたことに対しての監督責任を追及。一方、劉氏の中国外交官との交際を質し、なかでも駐日大使時代の王毅氏との関係について「特に念入りに聞かれた」。 “拘束体験記”は次のように続く。

〈2005年頃(※岡山県華僑華人総会で)採用した(※女性)元事務局長(天津出身)と(※日本の局との間で)機密文書を渡したとか…。5~7年前(※2010年前後のこと)に退職した彼女と(※日本の公安・外事当局の)担当者との繋がりと、彼らとのやり取りを私が見たこと・聞いた事があるかと、2人の尋問者がしつこく聞いてくる。「知っていれば言うが、知らないことは言えない!」  

あまりにもしつこい取り調べにこちらも腹を立てケンカに!しかし、こいつらのペースに乗ってはダメ!!と強く自分に言い聞かせ、気分を落ち着かせる。決してペースに乗らないぞ、と心の中で繰り返す。

◇ ◇ ◇
(※取り調べの)ボス曰く「あなたは、海外華僑では初めての拘束者。岡山・日本では有名人。大使・総領事とも良い関係を築いている…。困難な同胞を助けている劉さん。私たちがここまでするのは理由がある」との事。  

今回私を拘束した本当の目的は、私が長い間華僑(※の地位向上)運動を行い、(※中国の駐日)外交官との絆を持っている事で、外交官に個人的なサポートをしていると断定した上で、公務員の(※中の汚職体質の)大きなトラ、小さいハエをたたく運動の中で(※実情を)聞き出す事である(※という)。(※しかし)彼等のしつこい取り調べが、多くの冤罪者を作り出すのではと懸念される。私は、彼等より長く運動体験をしており、強い精神で彼等とやりあった。精神的に弱い者は、彼等の(※狙った人物の不利になるような証言が巧みに引き出され)筋書き通りになっていく事が懸念される。 (※中国の)国内の問題に海外華僑を巻き込むのはやめろ!と声を「大」にして言いたい。又、私が知る外交官の名前が出てきたが、私の知る限りそれぞれのポジションで立派に仕事をされているので、その状況を話すのみ!〉  

拘束の背後には、「トラもハエも叩く」として、習近平指導部が強力に推し進めた「反腐敗」運動とともに中国国内の権力闘争の影が垣間見える。そして、劉氏への尋問はいよいよ核心部分に入る。 〈(※中略)70歳(※当時)の私に「2005年、王毅大使(※当時)を岡山に迎えて講演したのはなぜ?講演内容を話しなさい!」…(※講演が)2005年であった事自体忘れており、講演内容の細かい所まで覚えていない…「想一想(※シャンイーシャン)(考えなさい)。安全部は何時間でも待つが、早く日本に帰りたいのなら想一想!想一想!」とのこと。無理な“想一想”である。 「活動経験上偉い人の話は大体理解しているのでまとめて話す」と…。「劉さんの考えでしょう!それはダメです。劉さんの意見ではなく本当の事を言って!」というやり取りが続く。(※中略)〉

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取り調べ官らの態度に憤慨し、「祖国愛も一気にさめる思いだった」という劉氏は、次のように語った。

「たしかに、王毅大使には岡山で講演をしてもらった。しかし、事務方の仕事に忙殺され、当日も講演内容を詳細に記憶するほどじっくり聞いていないし、祖国に対して不都合な話題が出たわけでもない。また中国の正月を祝う春節祭や、建国記念の国慶節といった総会関連行事の日程、式次第を総会事務局が日本の公安、外事当局に提示したところで、公開情報ばかり。何が問題なのかさっぱりわからなかった」

「ただ王毅氏のことを繰り返し聞かれたので、狙いはそこか、と察しはついた。『いつからのつきあいか』 『何回くらい会ったか』 『何度電話で話をしたか』など。知らんがな、そんなもん! いちいち覚えてないですよ。理由は何であれ、とにかく私を拘束し、脅して取り調べれば何かしら王毅氏の弱みが握れるかもしれないと見込み、勇み足による拘束だったのだろう。途中ポリグラフにもかけられたが、自分自身に強い意思がなければ、王毅氏の失脚などにつながるような話に無理やりこじつけられ、彼らが考えた筋書きどおりに取り調べが運んだかもしれない……」  

北京市出身で、北京第二外国語学院で学んだ王毅氏は、英語、日本語に堪能で、2004年から07年まで駐日大使を務めた。習近平氏が国家主席に就任した13年には、党の「エリート養成機関」である共産主義青年団(共青団)出身の李克強国務院総理(首相)のもとで外交部長(外相)に就任。また、18年には国務委員にも就任した。  

一方、中国共産党の古参幹部を父に持つ太子党出身の習氏は、大規模な汚職撲滅キャンペーンを展開。そのなかで、上海閥の中心・江沢民元国家主席に近いとされ、胡錦濤(共青団)時代に政治局常務委員を務めた周永康氏が、同ポスト経験者は汚職摘発されないという不文律を破って逮捕、党籍剥奪され、無期懲役判決を受けるケースもあった。一連の「反腐敗」運動の背後には、太子党、共青団、上海閥が入り乱れた権力闘争の一面が指摘されており、王毅氏もこの延長でターゲットとされ、身辺が調査されていた可能性がある。  

2020年8月30日から9月4日、東欧チェコのミロシュ・ビストルチル上院議長率いる約90人の同国訪台団が、中国の反発のなか、専用機で台湾を訪れ、上院議長は蔡英文総統とも会談。互いに民主主義の価値観に基づいて協調していくことを確認しあったが、これに対し王毅国務委員兼外相は、チェコに「深刻な代価を払わせる」と猛反発した。  

この言動に、日本のチャイナウオッチャーらは、中国が対外的に強圧的な「戦狼外交」を展開している点に絡め、「(あの有能な外交官だった王毅氏も)いまや力の外交をするだけの『戦狼王』に成り下がった」と嘆息をもらしたが、習指導部に徹底的に身辺を調べ上げられた結果、がんじがらめになっている可能性もありそうだ。

相次ぐ日本人拘束

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劉勝徳氏と同時期には、法政大学の趙宏偉教授や、立命館大学の周瑋生教授が同様に中国で一時失踪状態となり、数カ月後に日本に戻った。  

このうち、筆者がよく知る周氏は浙江省出身。

「立命館孔子学院」の初代院長を務め、2007年、当時の温家宝首相が来日の際の立命館大訪問にも尽力。複数の新華僑団体でも指導的役割を担うなど影響力が強い人物だ。  

いまからちょうど1年前の2019年9月には、北海道大学の岩谷將教授(中国近現代史)が北京市内のホテルで中国当局に身柄を拘束され、日本側の強い抗議もあって2カ月あまりで解放されたことは記憶に新しいが、「反スパイ法」を制定、施行した中国では2015年以降、香港や海外で暮らす中国人だけでなく、日本人が拘束される事例も相次いでいる。  

だが容疑や拘束の詳細については、中国当局の報復などを恐れてか、誰もが解放後も口をつぐんでいるのが実情で、具体的にどんな行為が法に抵触したのか、詳細は不明だ。  

反スパイ法に問われて拘束された岩谷教授にも、共通の知人を介してインタビューを申し込んだが、応じてもらえなかった。このケース以降、日本の中国研究者が中国でのフィールドワークを躊躇するなど、学術交流面でも影響が出ている。  

いずれにせよ、劉氏のように「祖国のためにも、おかしいことはおかしいと声をあげる」というケースは極めて稀で、日本の公安調査庁や警察の外事関係者らも、帰宅後の劉氏の言動は「注目に価する」と、調査、分析の対象としている。

取り調べ官の役割分担

〈私を急に拘束して帰さない、連絡も出来ない状態に置くことに腹が立つ。(※中略)…こいつらの共産党、共産党という言葉に対し、自分は国外に住む、日本で生まれ育った華僑2世、中国共産党員でもなければ中国スパイ法(※反スパイ法)等、聞いたこともない!!海外に住む中国人の町内会長の一人である私をこんな扱いをする独裁政治集団は許さない!」と思い始める。

「お前等は一人でも困難な同胞を救った事があるのか!!私は40年間同胞を助け支援している。その結果、家も失った!!」…と。  毛(※沢東)主席が言っている。「一度良い事をするのは誰でも出来る。尊いのは、死ぬまで人に奉仕出来るかどうかだ!!」と彼らに対し大声で叫ぶ。それも一方通行。彼等は返事もしない。(※取り調べ官の)一番偉い人を含め名前は不明である。トップはボス、下の人は全員リーダーと呼ぶ。決して個人名は言わない。そういう秘密組織なのだ〉  

劉氏によると、主な取り調べ官は5人。「ボス」は中国共産党の代弁者らしく、その言葉は絶対だった。「質問の仕方は強引で、聞き出そうとする答えが違う場合には、感情的になり大声を発することもあった」。これをフォローするのが第一リーダーで、「同じ質問を、角度を変えてみるなど工夫していた」。また「第二リーダーが一番人間らしく、こちらの返答も忠実に伝えてくれる」。 「第三リーダーは、質問時は大変厳しいが、質問時以外は人間味があった。第四リーダーはボスと第一リーダーにへつらい、下の者には嫌われていた。時々彼が(通訳専門官に代わって)通訳を担当することもあったが(日本語の)レベルが低く、何度叱責した」といい、係官は役割分担しながら取り調べを行っていた様子が窺える。

なぜ拷問に近い取り調べに耐えられたのか

劉氏が拷問に近い取り調べにも耐えることができたのも、「自分は40年間、同胞を助け支援してきた」という確たる信念があったからこそだろう。一枚岩のように思われがちな在日華僑・華人社会だが、1970年代までに海外に移住・定住していた老華僑・華人と、改革・開放の流れで70年代後半以降に出国した新華僑の意識には「ずれ」もある。特に、最近の来日中国人のマナーの悪さなどでは、「長い年月をかけて日本社会で築いた自分たちの信用が崩れる」として、快く思わない老華僑・華人も多い。  

劉氏は日本社会に不慣れな中国人留学生にゴミの出し方などの公共ルールや近所づきあいのマナーまで指導し、自身が経営していた中華料理店のアルバイトも開放して経済的に学業支援するなど、最終的には2010年に同店をたたむまで、日中の相互理解促進や、新華僑・老華僑の融和にも熱心だった。  

もちろん、裏を返せば、これまでの劉氏は、中国にとって日本での中国の影響力を強化する事実上の「工作員」という一面もあっただろう。実際に劉氏は、1985年ごろに中華料理店の支配人を経て独立した際も、「愛国的である」として北京市政府要人から一流ホテルの料理人の斡旋を受けた。店は、来県した李鵬首相をはじめ訪日中国要人を迎える機会も多く、繁盛した。  

台湾の李登輝元総統が総統退任後の2001年4月、倉敷市の倉敷中央病院で心臓カテーテル手術を受けるために来県した際は、台湾を核心的利益とし、李氏を「台湾独立勢力の総代表」とみなす本国の意向に沿って訪日反対運動も展開した。そうした自身の「功績」を蔑ろにされた、という思いが強かったのだろう。手記の文面には「祖国からのスパイ扱い」に対する強い憤慨がにじみ出ている。

国際電話で「すぐに帰るから騒ぎにしないでほしい」

ちなみに、当時、劉氏が中国当局に拘束された可能性を報じたのは2017年2月9日付以降の産経新聞のみで、同紙岡山支局長だった筆者のスクープだった。劉氏は、自分のことが新聞報道されたことは「取り調べ官から知らされた」と証言する。  

劉氏が通訳とともに1泊2日の出張から帰ってこないことは、直後から総会や家族らが当然、問題にしており、岡山市議や県議らを巻き込んで大阪の中国総領事館などへ早期帰還を促すよう求める嘆願運動も動きだそうとしていた矢先、筆者は情報をキャッチした。  

そうした動きのなか、劉氏は一度だけ総会事務局に対し、「元気だ。すぐに帰るから騒ぎにしないでほしい」という趣旨の国際電話をかけさせられている。一時的に携帯電話が返却され、総会事務局勤務の自分の三女がいる時間を狙って事務所にかけたが、目前の係官からは「余計なことはいうな」と脅され、スピーカー機能を使っての会話で、決められたこと以外を話すことは許されなかった。  

結局、この一本の電話があったため、総会は筆者の取材に応じず、筆者は周辺者証言だけで記事にしたが、劉氏自身は「もっと騒ぎになればいいと喝采した。新聞報道で注目され、不利な扱いを受けずに済んだ」との思いを抱いている。

拘束から116日目

そして当初は「拘束600日」と告げられたものの、実際には116日目に帰宅がかなう。その理由について、劉氏は「聞かされていない」という。

「叩いても何も出てこないと判断したのではないか。最後のほうは取り調べのなかで、私の日本での活動への称賛などが増えていった。これ以上調べても無駄だと判断したのだろう。解放前には態度も親切になっていった。監視員らも『英語や法律の勉強を長くしている』だの、『テコンドーの天津大会で優勝した』だのと、雑談に応じるようになっていた」とも。  

劉氏の手記にはこう綴られている。

〈2017年、新旧正月を天津で迎える。花火の「音」だけの正月だ。(※中略)(※取り調べ官のボスから)大みそかに特別「麒麟一番搾り」500ミリリットルが一本届く。久しぶりのアルコールだ。一人で飲むビール…。酒は雰囲気で美味しくもまずくもなる…。有難いビールであったが、こんな環境では苦いだけで美味しくない。3月14日は私の誕生日。昨(※2016)年の70歳の誕生日は岡山で、国会議員をはじめ100名の方々に祝ってもらった。今回は、拘束の地・天津で(※取り調べチームの)リーダーが「今日は劉さんの71歳の誕生日ですから」と、ケーキと白切鶏5切れで、(※係官計)4人で祝ってくれた。(※中略)

◇ ◇ ◇
(※2017年)3月16日リーダーから、チケットが取れたから明日天津から関西空港へ帰国させる…とのこと。なんと、4カ月ぶりの解放だ!しかし…(※通訳の)姜君はすでに日本に帰っているのかどうか確認したところ、まだとの事。「私だけ先に帰る訳にはいかない、一緒に帰してくれ!」と言うと、「もう少し(※取り調べ)業務が残っているので…。済んだらすぐ帰します。中国共産党を信頼してください!」という返事。その言葉を信じて先に帰国する。3月17日昼過ぎ、大阪(※関西国際空港)へ到着。2人の子供が迎えに来て再会を喜びあった〉

帰宅後も当局から電話が

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劉氏は帰宅に際し、天津の当局に保証金5000人民元を預け、復路の航空券を自費で購入し解放が決まった。「帰宅後も一年間は日本の当局やメディア関係者らに何も話すな」と念を押され、実際に帰宅後は、当初は2週間に1回、のちには1カ月に1回、天津当局から国際電話があり、「誰と会ったかなど、行動を聞かれた」という。  

帰宅から1年後の2018年春、天津の当局から「預かった保証金を取りにくるように」と促されたが、劉氏は「もう二度と中国本土には行きません」と話している。当時の総会事務局長兼通訳の姜氏は劉氏に約1カ月遅れて4月14日に日本へ戻ったが、姜氏は天津には送られず、テレビ視聴も可能で、日本に戻る直前は長春の実家に帰されたというが、「気持ちの整理ができるまでしばらく休養したい」と申し出た。拘束体験の詳細は話したがらず、筆者も取材はできなかった。  

劉氏は「私の拘束で、他の会員は萎縮してしまい、総会連絡用のチャットからも中枢メンバー30人が抜けるなど、総会運営は混乱した。帰宅直後の会長改選にも立候補者はゼロ。しばらくは副会長などの役職者は一切なしで、会長と会員だけという期間もあった」と振り返る。  

劉氏の拘束期間中、総会事務局は職員の給与や事務所賃料などにも困窮し、岡山国際交流センタービル内に借りていた2部屋のうち、1部屋を解約することになった。事務局から去る人が相次ぎ、姜氏もその後、事務局から距離を置くようになった。

魂の叫び

劉氏は、2018年11月、岡山市内で開催された日中民間友好団体の実務会議「第16回日中友好交流会議」に合わせ、「第58回旅日福建同郷懇親会・岡山大会」を開催。事前準備で香港・マカオに出張したが、中国が国家安全維持法を施行した昨今の香港情勢を見て、「今後は香港にも行けなくなった」と思っている。同大会後は「中国共産党の圧力などで周囲に迷惑をかけないように」と、地域の役職である県華僑華人総会会長と中国四国地区華僑華人総会会長などを除き、全国組織である日本華僑華人聯合総会の常務委員や、全日本華僑華人中国平和統一促進会の副会長職を辞任した。  

しかし同胞への支援活動は続けており、最近では倉敷市内の和食料理店で技能実習生として働く中国人男女5人が、実習計画外の長時間労働や賃金未払い、パワハラなどにあっているとして、大阪の中国総領事館担当者らに支援を求める手伝いなどに追われているが、「以前に比べ、担当者もどこか事務的な印象。世代変化のせいなのか、いまの中国の指導部の影響なのか」と首を傾げる。ビザ申請の際には、両親の生年月日や会社の社長名など従来求められなかった個人情報の記入も求められるようになったという。  

米中の対立がますます先鋭化するなか、手記を〈中国国内の力関係に左右されるわれわれではない。信念に基づき行動するのみ〉と締めくくった劉氏は、「こんな思いをするのは私で最後にしてほしい。どうか立派な、誇りに思える祖国であってほしい。私なりの愛国心から、中国共産党の恐怖政治に意見したい。おかしいことはおかしいと、誰かが指摘し続ける必要がある」と訴え続けている。 「戦狼外交」を展開する習近平指導部に、この老華僑の魂の叫びは通じるだろうか。(初出:月刊『Hanada』2020年11月号)

著者略歴

吉村剛史

https://hanada-plus.jp/articles/581

1965年、兵庫県明石市出身。日大法学部卒。90年、産経新聞社入社。東京・大阪両本社社会部で事件、行政、皇室報道等を担当。台湾大社費留学、外信部を経て台北支局長、広島総局長などを歴任。2019年末退職。以後フリーに。日大大学院修士(国際情報)、日本記者クラブ会員、東海大学海洋学部講師、一般社団法人消防管理協会顧問、大阪日台交流協会理事長、清風情報工科学院参与。主なテーマは在日外国人や中国、台湾問題。

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米中両大国の常軌を逸した振る舞いで幕を開けた今年、国際社会の直面する危機は尋常ではない。現在の危機は黒船来航から始まった160年余り前のそれよりも、はるかに深刻だ。


韓国の不当判決に事実に基づき反論せよ|西岡力

韓国の不当判決に事実に基づき反論せよ|西岡力

1月8日、ソウル地裁は、慰安婦制度を「主権免除」が適用されない「反人道的犯罪」であると決め付けた。国際法を無視した韓国の不当判決と、それを事実上後押しした「反日日本人」たち。今回の判決を批判するためには、「日本発の二つの嘘」に対する反論もする必要がある!