「二階一強」構造の問題
二階幹事長について言っておくと、日本の政界と中国とは長い歴史がありますが、現在の「親中派」筆頭といえば、二階幹事長でしょう。
二階氏は県会議員出身。別に中国と太いパイプがあったわけではありませんが、2000年の小渕政権の時に運輸相を務めて北京を訪れました。その時、中日友好協会幹部にこんな”はったり”を言いました。
「今年は2000年だから、2000人の日本人の友人たちと一緒に、中国を再び訪れたい」
そして運輸相のポストを使って、観光業界や航空業界など業界団体に呼び掛けて、2000人を上回る5000人をかき集めて中国を再訪しました。前の訪中では中国共産党のトップクラスに会えなかったけれど、5000人を引き連れての訪中では当時の江沢民主席、胡錦濤副主席と共産党トップがずらりと揃っていた。
2000年はちょうど日中関係がおかしくなり始めていた頃で、中国としてもこの訪中は歓迎すべきものだったのです。
そこからパイプががり、何度も訪中を繰り返し、いつの間にか中国に関する重要な案件は二階氏を通さなければならず、また中国も言うことを聞いてくれる二階氏は都合がいいために重宝することになった。
国内を見れば、二階派は誰でも受け入れるので数は多い。まさに数は力という田中派の系譜です。数を揃えることで総裁選のキャスティングボートを握り、それによって自身の存在感を高めていく。幹事長でもあるので、自民党の金を自由に使えるのも大きい。
この「二階一強」は、自民党の構造的な問題でしょう。もはや、党内で論議は行われていないに等しい。「習近平国賓来日」に関して若手議員が反対をしていましたけど、おとなしいもので、かつての青嵐会のような激しさはありません。
ことほど左様に、自民党は変質しましたが、それは官僚組織にも言えることです。
かつてはエリート中のエリートが官庁、特に財務省、経産省に入っていくものでしたが、平成に入ってからはそういう傾向が少なくなり、もちろん優秀な人が一握りは存在しますが、大部分は”そうではない”人が占めるようになってしまった。優秀とは何も頭の良さだけでなく、時に「職を賭してでも」という気概をもって仕事に当たれるかどうか、ということです。
そういう人材が減ることは、政治主導の裏返しではあります。政治主導を目指せば、結果的に官僚の力が弱まってしまう。しかし、それにしても劣化が激しい。その顕著な例が文部科学省と厚生労働省で、言われたことしかやらない。自分から率先して仕事をしない。厚労省のケースは、新型コロナ対応を見れば明らかでしょう。
やっぱり小池は駄目
このように様々なことが変質していくなかで、コロナ後の日本の政治はどうなるのか。
まずはっきりしたのは、野党には政権は任せられないということ。
1月22日に行われた代表質問で、立憲民主党の枝野幸男代表は、新型コロナを素通りして「桜を見る会」を取り上げました。たしかにこれは問題があり、指摘するのも理解できますが、目の前にある危機を無視してまでやることではありません。
枝野代表に限らず、蓮舫副代表なども、野党議員は代表質問でコロナ問題にはほとんど触れませんでした。
この日だけでなく、武漢が閉鎖されたあとも、野党議員はひたすら「桜を見る会」ばかり。これでは、いくら安倍政権が失点しても野党待望論は起きない。危機予知能力どころか、現在ただいまの危機すら認識していないのですから。
そんな野党の中で維新の支持率だけが上がった理由は、大阪の吉村洋文府知事がコロナ対応で善かれ悪しかれ脚光を浴びたからでしょう。
コロナ後の政治において、こういうタイプの政治家が出てきたことが一つの”救い”になります。指導力、リーダーシップを発揮し、自ら動く。間違いがあれば撤回し、謝罪と反省をしてまた次へと動いていく。言い換えれば、「行動を国民に見せる」タイプの政治家です。
ちなみに、小池百合子都知事は権力に対する執着があからさまに出ていて、たとえば今回のコロナ対応でも次の選挙にげようとしているのが透けて見える。彼女の場合、もう少し政治的野心をコントロールしないと駄目です。
ともあれ、日本の首長は大統領型で、総理大臣に比べてリーダーシップを発揮しやすい。その点で、今回の新型コロナ対応では優劣がはっきりし、大阪の吉村知事と松井一郎市長のコンビはうまく力を発揮できた。それが維新の支持率にがった。
今後は、地方首長のなかから国政を担う政治家が出てくることになるでしょう。いかに見える形でリーダーシップを国民に見せるかが、政治家の大きな課題になる。
これはむろんポピュリズムと紙一重で、危うさを孕んではいますが、もうこういう形でしか国民は政治家についてこない。