アメリカとイタリアが中国との往来を止めた10日後の2月10日、武漢ウイルスを巡る一つの論文が公表された。
中国人科学者を中心とするグループが書いたこの論文は、武漢ウイルスが、人間がもともと持っているACE2受容体と結合して体内に侵入することに注目。ACE2の発現率がDNA系によって異なるとして、性別や人種によって武漢ウイルスへの「罹りやすさ」に大きな違いがある、というまったく新しい主張をした。
衝撃的だったのは、人種ごとの罹患しやすさを比較したリストだった。なんと、世界で最も武漢ウイルスに感染しやすいのは日本人男性である、と名指しされたのである。そして逆に、最も感染しにくいとされたのが、アメリカの白人とイタリア人だった。
その後まもなく、日本は感染者数も死者数も世界最低水準を維持し、対照的に米伊が最悪の展開を見せたことで、この論文はほどなく忘れ去られた。
この論文が忘れ去られたのは、「一番感染しやすいはずの日本の死者がこんなに少ないはずはない」という、あたかも現実に起きていることと正反対のことを主張しているように受け止められたからだ。ところが、コロンブスの卵的発想の転換で、この疑問に解を示している専門家グループがいる。
「日本人は世界一武漢ウイルスに感染しやすいからこそ、世界一死者が少ないのだ」
まるで禅問答のようにも思えるが、そうではない。中国と近く、ヒトとモノの往来も盛んな日本だからこそ、早い段階で中国からウイルスが入り込み、瞬く間に多くの国民が感染し、自然治癒して抗体を獲得したというのである。
人間は未知のウイルスに感染すると、免疫系が作動して抗体を作る。そしてひとたび十分な量の抗体を獲得すれば、同じウイルスには数カ月間再感染しない。この論に従えば、昨年秋、遅くとも11月頃から初期型の武漢ウイルスが日本に入り始めていたとすれば、辻褄が合うのだ。
しかし、これだけではアメリカとイタリアの惨状の説明がつかない。ウイルスに感染するという事態は日本も米伊も同じなのに、なぜ被害に差が出るのか。そこで鍵を握るのが、武漢ウイルスにはいくつかの異なるタイプがあり、感染力や致命率が大きく異なるという考え方である。
分水嶺となった3種類の武漢ウイルス
コロナウイルスは、ヒトからヒトへと感染するたびに少しずつ変異する。そしてある時、その性質を大きく変容させ、新たなタイプに生まれ変わるというのである。最新のゲノム分析では、4月中頃の段階で、世界には大きく分けて3種類(S・L・G)の武漢ウイルスが存在することがわかっている。
これを基に、たとえば京都大学大学院医学研究科の上久保靖彦教授らのグループは、3種類の違いを克明に分析し、各型の感染力、重症化率、そして集団免疫のために必要な感染割合などをデータに基づいて分析している。
複数の研究グループの仮説を総合すると、武漢ウイルスの初期型であるSは、健常な子供や大人が感染してもまったく症状が出ないか、出ても軽症に留まると見られている。その代わり、S型に感染した際に作られる抗体の力は不十分だという。
これに対し、中国の武漢周辺でS型から変異し拡散したL型は、感染後の症状はS型より重いが、ひとたび感染すれば、しっかりした抗体ができるという。ところがその後、L型がさらに変異して生まれたG型は、感染力が高いうえに一旦かかると若者でも重症化しやすい、極めて危険なタイプだという。
日本にはかなり早い段階でまずS型が一定量入り、2月以降は中国との往来が止められなかったせいで、L型も継続的に流入した。そして日本人特有の「感染しやすさ」も手伝って、国民のおよそ6割程度が一気に感染して自然治癒したというのである。
L型に感染して有効な抗体を作ってしまえば、その後、凶暴なG型が入ってきても感染の心配はない。現段階でいえば、L型に感染して自然治癒した人の割合が高ければ高いほど、その集団での感染爆発のリスクは低くなる。一定程度の人数が抗体を獲得しているとき、その集団は「集団免疫を獲得した」と表現する。
一方、アメリカとイタリアにも、S型は1月中頃までに一定程度入っていたと見られている。ところが、2月頭から中国との往来を完全に止めてしまったことで、L型が流入する機会を失った。このため、感染拡大をブロックできるだけの十分な抗体を持った集団を形成できないまま、2月中頃以降G型の流入が始まり、大惨事につながったというのである。
一部の専門家は、イタリアの場合、G型はフランスなど隣国から陸路で入ったと見ている。
この理論に従えば、「L型の流入の有無こそが、日米伊の分水嶺となった」という結論に達する。安倍首相がどこまで集団免疫を意識して政策を決定していたかは知る由もない。しかし、中国との往来を止めず、緩やかにL型を受け入れ続けたという、あの保守派からの総スカンを喰らった決断こそ、日本での感染爆発を防いだのかもしれないのである。