警察庁幹部「極左暴力集団も確認」と答弁
6月28日の午前10時過ぎ沖縄県名護市安和で、辺野古の反基地運動により警備員に死者が出てしまった。名護市安和の事故現場は、辺野古移設工事に使う土砂を搬出する安和港の近くで、ダンプトラックが2人と接触、40代の男性警備員が死亡した。各メディアの報道によれば、死亡した警備員は、反基地運動に参加していた女性がダンプカーの前に飛び出そうとしたため、急いで制止に入り、一緒に巻き込まれたとみられている。
反基地運動の活動家たちは、これまでも走行しようとするダンプカーの下に入り込むなど危険な行為を繰り返していた。そして、今回、それを制止しようとした警備員が亡くなったのである。
辺野古の反基地運動は、辺野古の住民の意向を無視する過激な形で行われてきた。辺野古地区の住民は、普天間基地の辺野古移設について、賛成、反対の激論を乗り越えて、「条件付き容認」との結論を導き出し、それを堅持してきた。道路や下水道等の生活基盤整備や地域振興策が行われることを条件に容認してきたのである。
辺野古の方々にお話を聞くと、「元々の住民は反基地運動には参加していない」とおっしゃる。反基地運動に参加するために辺野古に引っ越してきた人や、辺野古地区外の人たちが過激な反基地運動を繰り広げてきたのである。
平成29(2017)年の参院内閣委員会では私の質問に対し、警察庁の松本光弘警備局長が「反対運動を行っている者の一部には極左暴力集団も確認されている」と答弁した。極左暴力集団とは、過激派のことを指し、中核派や革マル派などがこれにあたる。こうした集団が反基地運動に入り込んでいるのは、殺人やテロも過去に起こしている集団であることから極めて恐ろしいことである。
辺野古で私と随行者が囲まれ暴行を受けた
そして、沖縄県外の人たちが多数、辺野古の反基地運動に参加していることを目の当たりにしたのは、平成28(2016)年2月に私が辺野古のキャンプ・シュワブ前の反基地運動の違法テントを訪れたときである。
この日は、ちょうど「ジュウルクニチ」に当たっていた。ジュウルクニチ(十六日)は旧暦の1月16日にあたり、沖縄で「あの世のお正月」とされる祭日である。この日は会社を半休とするところもあり、一族が先祖の墓前に集い、ごちそうを供えて祖先の霊を慰める、沖縄ではとても大切な日である。
であるので、現地に同行してくれた方は、「さすがに今日は誰もいないのでは」と言っていた。ところが現地に着いてみると、反基地運動の人たちが大勢いた。私はびっくりして、その場にいる人たちに尋ねた。「今日はジュウルクニチですけど、皆さんここにいても大丈夫なのですか?」と。
返ってきた答えは、「ん?なんだ、その『じゅーるくにち』ってのは」だった。「なんだ、皆さん沖縄の方じゃないんですね」と投げかけると、「お前だって、沖縄の人間じゃないだろう」という反応が返ってきた。
この時、近くの商店の方にも話を聞いたのだが、「あの場所には辺野古の人は一人もいません」ときっぱり言っていた。そのうえで、反基地運動の活動家の酷い実態についても話があった。商店の方の話では、活動家たちが商店のトイレを借りに来るので貸すのだが何も商品を買ってくれない、しかもトイレットペーパーを持って行ってしまうとのことだった。
その年の5月にも私は辺野古を訪問し、道路用地を不法占拠している違法テントの活動家たちに対し、道路を挟んだ向かい側で距離を取って、違法行為をやめるよう呼びかけた。すると、道路を越えて活動家たちが私に押し寄せ、私と随行者が囲まれ暴行を受けた。
私に対しては、叩く、ひっかく、随行者は眉間にプラカードのとがった部分を投げつけられ負傷した。この犯人は書類送検され、その後の暴力行為への取り締まり強化に繋がった。
(当時の映像がこちら▼)