なぜチャーリー・カークに興味を持ったのか
今回は9月10日に暗殺されたチャーリー・カークについて書かせていただく。前回、新型コロナウイルスの起源について書いた後で、このテーマについても書くお前は一体何者なのだと思われる方は多いと思うので、遅まきながら最初に少し自己紹介させていただきたい。
大学時代、私は分子生物学を専攻していた。そのバックグラウンドが新型コロナウイルスの起源を追いかけるきっかけとなった。大学院から今流行のAI(人工知能)のさきがけとなるニューラルネットワークの研究を始め、それで博士の学位を取得した。その後、同じ情報工学分野の中でバーチャルリアリティ(VR)にも守備範囲を広げ、現在に至っている。自らの専門である情報処理の技術は、新型コロナウイルスの塩基配列の解析に生かされており、変異株が人工的に作られた可能性について論文も書いている[1,2]。
大学院博士課程在学中から、科学哲学や研究倫理についても興味を持つようになった。当時、ポストモダン哲学が流行しており、左翼思想が自然科学を厳しく批判する動きがあった。自然科学は世界(宇宙)が普遍的な法則に基づいて動いているという実在論に立脚する。そして、その法則を見出すために日々実験や観察を繰り返している。ところが、ポストモダン左翼は実在論を否定する。分かりやすい例は、ジェンダーフリーやLGBTQ思想である。遺伝子のような生物学に基づく客観的根拠は全て無視して、自分が男と思えば男であり、女と思えば女というのが彼らの考え方である。それは我々自然科学者のスタンスとは相容れない。
ポストモダン思想は、社会学のような文系の学問分野で最初に広がった。あくまで文系の世界の話なので、自然科学者はそれを放置しても問題ないと思っていたようだ。しかし、同じ大学という組織内でこういう思想の持ち主が勢力を拡大すれば、いずれ自然科学に対しても悪影響を与えると私は危惧していた(同じ危惧を後述するジョーダン・ピーターソンも持っていたそうである)。それを書籍化して世に訴えたのが2005年の拙著『学問とは何か』である[3]。
それから20年が経過し、私が危惧していたことは現実になった。LGBTQ思想が生物学の科学的知見を否定したように、今や科学者自身が事実を捻じ曲げ始めている。生命科学者は新型コロナウイルス研究所起源を隠蔽し、医学者は新型コロナワクチンの深刻な被害の存在を否定する。再生エネルギーの研究者は再エネはエネルギー密度が低く、大規模な自然破壊なくして原子力や化石燃料を代替するのは原理的に不可能という高校理科の知識で分かることすら正直に話さない。「事実」は自分の都合のいいように作り変えて広めればいいという文系左翼学者の思考パターンが、自然科学者にまで伝染してしまったのである。
日本ではその現状に警告を鳴らす言論人はほとんどいなかったが、米国では声を上げる言論人が少なからずいた。それゆえ、私の情報源の中心は自然に米国の言論人となっていった。そのうちの一人がチャーリー・カークだったのである。