こうした集団免疫論を前面に出して武漢ウイルスと戦おうとしたのが、イギリスのボリス・ジョンソン首相だ。3月12日、ジョンソン首相は衝撃的な記者会見をして、英国民と世界を驚かせた。
冒頭で、「英国はイタリアに4週間遅れている。英国では今後大規模な感染が避けがたく、その過程で家族や友人が失われる」と悲壮な表情で述べ、英国民に覚悟と協力を呼び掛けた。
そのうえで、「学校閉鎖やイベント禁止、渡航制限は、効果が少ないので行わない。たとえ感染しても、多くの場合軽症である。高齢者や基礎疾患を持っている人など、命のリスクに晒されるグループを守る対策に力を注ぐ」と宣言したのである。
この方針こそ、「国民をウイルスに曝すことで抗体保持者を一気に増やす」という、究極の集団免疫作戦だった。言い方を変えれば、ジョンソン首相は「健常な子供と大人の感染を敢えて抑え込まない」と宣言したに等しい。これを聞いて、3月14日の安倍会見を思い出した人は少なくないだろう。
「お亡くなりになった方は、高齢者の皆さんや基礎疾患のある方に集中しています。今週から全国の高齢者介護施設などへのマスク配布を順次スタートしていますが、こうした皆さんの感染予防に一層、取り組む必要があります」
安倍首相も、ジョンソン会見の2日後、同様に高齢者の重篤化リスクを強調した。そして翌15日には、日英電話首脳会談が行われている。電話会談としては少し長い40分の間、安倍首相とジョンソン首相は一体何を話し合ったのだろうか。
しかし、ジョンソン首相は衝撃の会見からわずか数日で、「積極的集団免疫獲得戦略」の撤回に追い込まれた。専門家や野党、さらには与党内からも「短期間に数十万人が死ぬ可能性があり、あまりに無謀だ」との声が一斉に挙がったからだ。結局、他の先進諸国のマイルドな政策に追随し、学校の休校など接触を抑える正反対の対策に舵を切らざるを得なくなった。
ジョンソン首相の蹉跌をみればわかるように、「国民をウイルスに曝して集団で抗体を獲得する」という政策を正面から訴えれば、国民の理解を得ることは非常に難しい。しかし一定割合の抗体獲得を目指さないのであれば、その国はいつまでも感染爆発の恐怖から解放されず、経済活動が再開できないまま時間だけが経っていくことになる。
経済的困窮によって死ぬ人とウイルスによって死ぬ人、どちらが多くなるかという、悲惨なチキンレースがいつまでも続くのである。一方、日本はいま、偶然に偶然が重なった結果、世界で最も集団免疫の獲得に近い位置にいる可能性がある。だとすれば、集団免疫説の真偽を、国家を挙げて検証する価値は十分にある。
集団免疫かBCGか「ファクターX」とは?
そこで大きく立ちはだかるのが、日本特有の見えない壁である。これまで感染拡大抑止という観点では、日本のデータは世界の優等生であり続けた。そしてその主役は、北海道での感染爆発を抑え込んだ「クラスター追跡チーム」であり、その理論を構築し実践を指導したのが専門家会議の主流派だ。
もし、日本の感染抑止が「静かな感染爆発」という僥倖によって成し遂げられていたということになれば、クラスター制御グループの栄光は途端に輝きを失う。そして、官邸としても、集団免疫というこれまでとまったく違う論理を掲げてウイルス対策を再構築するためには、これまでの「成功体験」をいったん脇に置く勇気が必要になってくる。
日本やポルトガルのように、結核予防のBCG接種を義務付けている国では、近隣国よりも感染拡大が抑止されているという分析もある。実際、隣接するスペインでは17万人もの感染者が出ているにもかかわらず、ポルトガルは1万7千人と10分の1以下だ。
WHOはBCGの抑止効果には否定的だが、「ポルトガルの特異性」を目の前にして、英独蘭などの研究機関では、関連性の研究が進められている。
BCG説も突き詰めれば、予防接種がその集団を武漢ウイルスに「感染しにくくする」「感染しても重症化しにくくする」かどうかが焦点だ。その意味では、これも「個々が感染しない戦略」ではなく、「集団としてウイルス耐性をつける」という発想での研究なのだ。
4月に入って日本で発表される感染者の大半は、感染ルートがわからないものばかりだ。それでも、死亡者が欧米各国のように指数関数的には増えないのはなぜか。
4月中旬以降は、感染者も死亡者も横這いから減少傾向に転じたという見方すらある。この現象は、クラスター制御、接触削減だけでは説明がつかない。