展示内容を隠して申請?
門田 大村知事は展示中止を求めた河村さんに対し、「(表現の自由を保障する)憲法21条に違反している疑いが非常に濃厚」と批判しましたが、それを聞いたとき、「はぁ?」と開いた口が塞がりませんでした。
表現の自由は、長い時間をかけ、多くの犠牲を払って人類が獲得した崇高なものです。だからこそ表現の自由を行使するときには、自ずと「節度」と「常識」が求められます。憲法12条にも、これを「濫用してはならない」と規定されている。
それを無視して、人々が不快に思い、ご遺族(注=ここでは「天皇家」)が傷つく作品を税金まで使って展示しているのです。大村知事は、表現の自由が「無制限」であるという考えに立脚しています。大変な誤りです。
「公的な場であるからこそ多様な表現が保障されるべきだ」と大村知事は言っていますが、それに従うなら、日本では児童ポルノ作品でもカニバリズム作品でも、何でも認められることになってしまいます。自分がどれほど恐ろしいことを口にしているか、まったく気がついていない。あり得ないですよ。
河村 大村知事は、展示中止を要請した私に対し、「憲法21条で禁止された『検閲』ととられても仕方がない」と批判していますが、国民から税金を預かる立場の者として、最低限、公共性のチェックは必要。憲法15条2項にはこう書いてあります。
「すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない」
つまり、公務員は大方の人が納得できるように物事を進めなければならないのです。
そして4つめのポイントが、展示内容が隠されたまま申請された疑いがあることです。
「不自由展」の展示作品「時代の肖像─絶滅危惧種 idiot JAPONICA 円墳─」を制作した造形作家の中垣克久氏は、アベマプライムで次のように語っています。
「最初、表現の不自由展実行委員会から、私のところに(作品を)出してくれと。ただし、普通には出さない。隠して出す。そう言われた時に、『それはおかしいんじゃないか。堂々と出したらどうか』と言ったら、『なかに慰安婦の像がある。これはいま出したら問題だから』と言われた」
「ちょっと作家を馬鹿にしてんじゃないの。俺たち芸術家だよと。自分で作ったものをそういうふうに出したこともないし、尊厳はないのかということを言った。そうしたら、『慰安婦の像で問題になるだろうから』と。炎上することを最初から分かってやったのかなと、あとからそういう気がした」
中垣さんは津田さんに電話をかけ、「我々出品者の名前・情報が事前に出ていない。こういうことはあり得ないぞ」と言ったら、「必ずあとで出す」と言っていたそうです。
中垣さんとは私も電話で直接話し、この発言について確認しましたが、間違いないようです。もしこれが本当だとしたら、補助金適正化法違反です。29条にはこうあります。
「偽りその他不正の手段により補助金等の交付を受け、又は間接補助金等の交付若しくは融通を受けた者は、5年以下の懲役若しくは100万円以下の罰金に処し、又はこれを併科する」
門田 中垣さんの話が本当なら、完全にこれに当てはまります。公金の詐取ですね。
河村 9月20日、大村知事宛に出した公開質問状にも、実行委員が「隠して出す」と言ったかどうかについても書きましたが、「増加する仕事量を限られたマンパワーで対応しており、現状では一同大変疲弊している」などと言って回答を先延ばしにし、現時点(2019年10月13日)でもまだ回答はありません。
門田 大村知事が直接、津田氏に「尖った芸術祭をやってくれ」と依頼したわけでしょう。おまけに展示内容が隠して進められていたとしたら、「不自由展」には大村知事の何か“意図的”なものを感じてしまいます。
しかし、いくら河村さんがいまおっしゃったようなことを訴えても、新聞にもテレビにも出ません。その統制力はすさまじいですね。「悪の河村」と「善の大村」という、自分たちの主義主張のために、不都合な事実は隠し、捻じ曲げていく。政治的公平を謳った放送法4条にも明らかに違反しています。
河村 ジャーナリズムが「真実を伝える」という大前提を守ってこそ、「表現の自由」は担保されるんです。
中日新聞は、「『不自由展』中止 社会の自由への脅迫だ」と題した社説で私を批判しましたが、何を言っているのか。マスコミが真実を伝えないから、代わりに社会の自由を守ろうとしているんですよ。
門田 おっしゃるとおりですね。私には、表現の自由を標榜しながら、マスコミ自身が表現の自由を圧迫しているようにしか見えません。
ジャーナリストではなく、「忠実な社員」
河村 門田さんが指摘されたように、テレビには一応、放送法があり、4条でこう定めています。
①公安及び善良な風俗を害しないこと
②政治的に公平であること
③報道は事実をまげないですること
④意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること
しかし、新聞の場合、公平性を規定する法律はありません。限られた電波帯を使用する放送とは違い、新聞は誰でも発行することができるからですが、そうは言っても、一部の全国紙がかなりの影響力を持ってしまっています。編集権は認めたうえで、きちんと公平性を規定する法律があってもいいのではないでしょうか。
門田 新聞、テレビしか情報源を持っていない人のことを「情弱」(情報弱者)と言いますが、ネットユーザーと「情弱」の間で、いまやとてつもない情報格差が生まれているんです。
新聞、テレビしか見ない人は「河村というのはひどい市長だな。少女像のことであんなに怒って」と思っている。「情弱」には、この対談で語られたような問題点は伝わっていないのです。
しかしネットが使える人は、ちょっと調べれば、たとえば、昭和天皇の肖像がバーナーで燃やされ、燃え残りが踏みつけられる映像も実際に見ることができますから、マスコミのミスリードに気がつきます。
河村 マスコミのなかにいる人たちは、門田さんのような人よりも上司の顔色を気にする「ヒラメ社員」がほとんどでしょう。古株の左翼上司、門田さんの言葉を借りれば、事実よりも観念論の「ドリーマー」の方針に逆らえず、彼らの方針に従っている。
社内の壁があるとは思うけれど、上司の方針に楯突いてみろと言いたい。それもできないで、なにが反権力ですか。ジャーナリストではなく、「忠実な社員です」と言ってほしい。
門田 いまの時代は、ドリーマーvsリアリスト、いわゆる“DR戦争”の真っ只中なんです。夢見る人、観念論者と現実を見ている人との戦いです。真実を伝えなければならないマスコミが、ドリーマーたちに占められていることは日本の不幸です。しかし、これほどまでマスコミの劣化が白日の下に晒された事件も珍しいですよ。
自己の主張に都合のいいように一部を切り取り、重要な部分を故意に「欠落」させて大衆を誘導することを「あたりまえ」だと考えている日本の新聞、テレビは、そう遠くない将来、誰からも顧みられなくなるでしょう。
ネットしか信じられない時代をマスコミ人が自ら創り上げているのは嘆かわしいことです。
(初出:月刊『Hanada』2019年12月号)