「日本保守党って、いい名前だな」
日本保守党事務局次長の広沢一郎です。日本保守党(以下、保守党)の裏方として日々活動しています。せっかくの機会を頂きましたのでこれまでの事務局の動きや私の思うところを記したいと思います。
簡単に自己紹介させて頂きますと、私は大学卒業後サラリーマンを10年、その後ITベンチャー企業を2社起業しそのうち1社は今も経営中です。
政治との関わりは2011年統一地方選挙に名古屋の地域政党・減税日本から愛知県議会議員選挙に出て当選したのが始まりで当時47歳でした。選挙はその後衆院選、参院選に挑戦し落選したため通算成績は1勝2敗です。
また2017年から4年間、河村たかし市長の元で名古屋市副市長を務めました。議場というのは国会でも地方議会でも役所と議員が向かい合って座るのですが、予算等の提案と執行を行う役所側と、それをチェックし議決する議会側の双方を体験できたのは大変有意義でした。
とにかくメンバーが底抜けに明るい! 撮影/今井一詞
そして昨年秋に百田尚樹、有本香両氏が河村市長に一緒にやりましょうと声をかけていただいた際に減税日本の副代表である私も保守党創立メンバーの末席に加えて頂くことになりました。
最初お話を頂いた頃はまだ百田新党(仮)という仮称で後に日本保守党に決まりました。河村市長は全共闘世代のためか当初、保守=保守反動という若干後ろ向きなイメージを持ったようですが、私の世代では全くそれはなく、素直に良い名前だと感じましたし、今もそう思っています。
これまで未来、希望、次世代、太陽など色々な新党が出ては消えました。そうした政治色の薄い概念よりも党名に目指す方向が明確に打ち出されている方が有権者にも分かりやすいと思います。
ちなみに減税日本も党名に減税という政策が入っていますが、これについて10年以上前に当時の橋下徹大阪府知事から「減税は手段であって目的でなく、党名としてはどうなんでしょうね」と河村市長に問いかけがありました。
河村市長は「こんなに長い間デフレが続く中で政府が財務省の言いなりに増税ばかりする国では減税こそが経済も政治も日本復活の鍵になる」といって譲らなかったことを思い出します。
それから10年以上が経ち、経済は失われた20年が30年になり景気回復もままならないのに消費税や社会保障費を含めた国民負担率ばかりが上がる一方で給料は上がらず、政治は裏金まみれで国民より自分優先の腐敗した国会議員の姿をみると、やはり河村市長の言い分は正しかったと思います。