朝日新聞の今回の記事全般や展示企画者らから窺えるのは、「展示は真っ当だったが、それを暴力や威圧で中止に追い込んだのはけしからん」という姿勢だ。脅迫など犯罪は論外として、展示のあり方そのものに問題はなかったのか。
筆者は、かつてインタビューしたベルリン市中心部の展示館「テロの版図」のガブリエレ・カンプハウゼン館長の言葉を思い出す。この展示館はナチ犯罪を包括的に扱い、専門家や市民から高い評価を得ている。館長はマスメディアにも登場するちょっと知られた女性歴史家で、終戦から12年後に生まれた戦後世代だ。
「私たちの展示も、何かを裁くのではなく史実を示そうとしました。戦争体験をめぐる話はとても心を傷つけやすいものですから、慎重であるべきだと思います」
戦後、エセ平和主義を標榜する朝日新聞や進歩的文化人ら左派は、戦時下で軍国主義を煽った自らの過去を棚に上げ、容赦なく旧日本軍などを責めてきた。そこには、自己を正当化する心理に加え、東京裁判史観から日本の戦争の過去はすべて〈推定有罪〉だというステレオタイプが働いていた。司法の原則〈推定無罪〉とは真逆の先入観だ。
朝日新聞や「表現の不自由展・その後」の企画者は、カンプハウゼン館長の言葉を重く受け止めるべきだ。
ドイツでは一般に、仮にそれが史実であっても、過去を一方的に糾弾するような展示は控えられている。まして、学術的に根拠のない慰安婦問題のようなケースがあったとしても、社会が受け入れない。
ドイツの良識ある識者らが、慰安婦問題をめぐる朝日新聞「誤報」から今回の展示騒動までの一連の出来事を知れば、おそらく「日本の極左集団による反日的で過激な活動」とみなすだろう。
偏向展示への疑問
日本ペンクラブ(吉岡忍会長)に属する篠田博之・月刊『創』編集長は、8月4日、ヤフーニュースにこんな寄稿をした。
〈何より、圧力によって人々の目の前から消された表現を集め、現代日本の表現の不自由状況を考えるという企画を、その主催者自らが、放棄し弾圧することは、歴史的暴挙と言わざるを得ません。戦後日本最大の検閲事件となることでしょう〉
しかし、先に言及した『週刊文春デジタル』のアンケートでは、こんな声も寄せられたという。
「企画の失敗。展示内容が『右から抗議を受けた作品』に偏っていた。各種の『市民団体』による、左側からの抗議を受けた作品とバランスをとって展示していれば、政治的に偏った印象を与えなかった」(男・57)
戦後、朝日新聞など左派による表現の自由の逸脱例が数々みられたが、憲法学者らは12条からの議論を放棄し、逸脱を容認してきた。それは、彼らの大多数が同類の左派であり、進歩的文化人だったからだ。それを世論の多数派が受け入れたのは、〈推定有罪〉のステレオタイプが一般国民の間にも浸透していたからだった。「慰安婦は旧日本軍によって強制連行され、性交を強要された」という朝日新聞の長年にわたるキャンペーンは、根本から誤っていた。
しかし、朝日新聞も「表現の不自由展・その後」を企画した左派活動家も、歴史の真実を受け入れようとはしない。日本の戦争の過去を糾弾することが正義だと信じる独りよがりの正義感、歴史観が、すでに自分たちのアイデンティティを構成しており、いまさら決別できないからだろう。誤りを認めた瞬間に、アイデンティティが崩壊することを恐れているのだ。
朝日新聞は、慰安婦問題を韓国人など非日本人の視点で書く。最近の韓国の「グループA」(ホワイト国)除外をめぐっても、朝日新聞は明らかに韓国・文在寅政権の立場から日本政府を非難する論調で社説やコラム、一般記事を書いている。わが国には左派メディアがいくつかあるが、朝日新聞ほどアイデンティティが倒錯している例はみられない。