「後見担当の専門員」――実際は素人で生活支援員に丸投げ
2014年12月、包括から連絡を受けた目黒社協は、正職員の専門員と生活支援員(1年ごとの雇用契約、時給1000円)を田中さん宅に派遣し、田中さんと自立支援事業の契約を結んだ。
このときの生活支援員は池田誠子さん(仮名)。のちに田中さんのトラブル相談を受けて解決に乗り出し、それを理由に目黒社協から解雇されることになる。
なお、後見担当の専門員といっても、「後見の専門知識はなく、社協と親しい弁護士、司法書士を市民に紹介する程度の仕事しかしない」(ある社協職員)のが実態である。
社協作成の個人ファイルによると、当時の田中さんの人となりは「精神面では、年相応の物忘れはあると思われるが、判断能力の低下等はなく、温和で真面目な性格である」。
田中さんは認知症ではなかったが、「年相応の物忘れはあると思われる」との理由で契約が成立。一方、姉は「判断能力が著しく低下している」との理由で契約できなかった。
15年1月、先月とは別の専門員が池田さんと一緒に田中さんを訪問し、支援計画書を作成した。池田さんは、解雇されるまでの約8年間、生活支援員として田中さんを2カ月に一回程度、訪問し続けたが、この間、田中さんを担当する専門員は9人も交代した。
専門員は、生活支援員が提出する援助実施記録票を読む程度で、実務は“雀の涙”の報酬しか得られない生活支援員に丸投げした。目黒社協は、池田さんの支援時間を一回当たり30分から1時間と決めた。
社協と親しいK弁護士の登場
目黒社協の「生活支援員活動マニュアル」は、生活支援員に「信頼関係を大切にする」 「利用者の訴えや様々なサインに目と耳を傾ける」ことが大事だと説いているが、一方では支援時間外に利用者に連絡したり訪問することを禁じ、支援以外の家事などを頼まれても断る、個人の連絡先を教えない、といった制約を課している。
こうした制約のせいで、「不本意ながら、郵便局で下ろしてきたお金を田中さんに渡して雑談する程度のことしかできなかった」と池田さんは述懐する。
16年、田中さんは姉の在宅介護は限界と判断。姉は施設に入った。2年後、田中さんの身辺に大きな異変が起きた。貸主から自宅(借家)の立ち退きを求められたのだ。相談を受けた専門員は、社協と関係が深い司法書士を田中さんに紹介した。
ところが、司法書士は立ち退き問題の対策はそっちのけで、頼まれてもいないのに入院手続きなどを行う見守り契約と財産管理委任契約、任意後見契約などを提案。遺言書の作成まで持ちかけた。
司法書士が作成した資料には、弁護士などと見守り契約を結ぶと契約時に2万円と毎月5000円以上の報酬が発生し、財産管理等委任契約の報酬は月額3万円から7万円と書いてあった。これらについて田中さんは不要と考えた。
だが認知症の発症前の段階では毎月の報酬が発生しない任意後見契約と、自分の死後に発効する遺言書の作成には応じても良いと考えた。将来の不安に備えた保険の意味からだ。
だが田中さんの最大の心配は、あくまでも立ち退き要求への対処だった。そこで専門員は、新たに社協と親しいK弁護士を紹介した。
田中さんは、K氏との間で任意後見契約書と、K氏を執行者とする遺言書を作ることに同意し、公正証書にした。その費用として、合計32万4000円をK氏に支払った。
田中さんとK氏、社協の関係はこの時点では良好だったようで、遺言書には姉が先に亡くなったときは田中さんの財産をすべて「目黒区に寄贈する」と書いてある。
だが、田中さんの本来の目的である立ち退き問題の解決については、社協とK氏はとくに何もしなかった。