フォーラム1日目の様子
そして8月2日は、事務局のマガレツキーが直接企画したものだ。朝9時から午後7時半までの約10時間にわたって、約50人にものぼるスピーカーが次から次へとスピーチをする形式だった。それも、そのうちの大半の35人程はオンラインスピーチであり、通訳もなく、YouTubeライブで放映するという方式であって、現場で参加するというよりもアーカイブが残ることにより意味があるといった位置付けではないかと思われた。2日間のプログラムはそれぞれに行われ、海外から来たリアルでのスピーカーは両日とも同じであるものの、組み立てには大きな違いが見られた。
「ロシア後の自由な民族フォーラム」はロシア後の世界として、ロシア連邦が41に分裂した地図を掲げている。衆議院議員会館でのフォーラムでも、会場に掲げられていた。このロシアからの分離独立という動きにいったいどれほどの実現性があるのか、また、そもそもどれほどの運動の実態があるのかが問題である。
筆者は中国の問題の専門家であり、チベット、ウイグル、南モンゴル、香港、または中国の民主化運動についてはかなり深く関わり、その歴史と現在について把握している方だ。ミャンマーの少数民族問題、内戦にも間接的に関わったこともあり、その存在は認識している。ところが、正直なところ、ロシアの民族問題というと、チェチェン紛争をのぞいて全くと言っていいほど聞いたことがない。チェチェン紛争は大変な戦争でもあり、また一部の過激派によるテロなどもあって、世界中で知られている。ところがそれ以外の民族問題など知らないのだ。今回様々な独立運動家と出会ってまず最初に聞いたのは、失礼ながらそもそもあなたの地域(国)はこの41のロシアの地図のどれですか、という質問からだった。指差ししてもらって、アルファベットの読み方から教えてもらわないといけないレベルからだった。
驚きのイングリア独立運動
筆者とウグリモフ氏