定義のない「県民」
もう1つの問題は、第9条「県は、県民であることを理由とする不当な差別的言動の解消に向けた施策を講ずるものとする」である。
第9条は、沖縄の人々に対して向けられた誹謗・中傷が中心的課題だと思われるが、前出の新垣県議のいうような定義がどこにも見当たらない。沖縄にルーツのない人たちや他県民が沖縄県民を「くさす」のは問題かもしれないが、その程度を推し量るのは難しい。沖縄にルーツのある人たちや沖縄県民が、自分たちを見下したり貶めたりするような発言をすれば、これはヘイトスピーチというより「自虐的な発言」と捉えられる。差別・被差別というのは、感情的な要素が大きく絡んでいる以上、当事者の属性に大きく左右される。
かといって、沖縄にルーツのある人たちあるいは沖縄県民なら、自らを汚い言葉で罵るのが許されて、そうでない人たちには許されないというのでは、法的公平性に欠ける。つまり、条例のような普遍的な文書(法)のなかで、こうした区別を明確化するのはきわめて難しいということだ。加えて、沖縄県以外の地域の出身者に対する沖縄内の差別(たとえば内地、とくに奄美出身者などに対する差別や米兵に対するヘイトスピーチ)や沖縄県内の差別(たとえば、宮古島出身者に対する本島内の差別)を放置してよいのか、という懸念もある。
もう少し視野を広げてみると「沖縄差別を許すな」は、すでに基地反対派の論拠のひとつになっている。沖縄に基地が偏在すること自体が「沖縄県民に対する差別」ということにされているからだ。安全保障や地政学上の問題と「民族差別」を同じ土俵で論ずるのは、分断と混乱を深めかねない議論だと思うが、第9条にはこうした「差別」が含まれる可能性があり、「施策を講じなければならない」のが県の役割だとすると、玉城デニー知事はいかに措置するのだろうか。
もっといえば、「東北差別を許すな」「大阪差別を許すな」といった主張が出てきた場合、沖縄の立脚する根拠はどのように組み立てるのか。「沖縄だけ血統が異なるのか」という問題提起もありうる。論点はいくらでもあるが、そもそもヘイト・スピーチの大元にある「暴力的表現」「罵倒的表現」「侮辱的表現」などはいかに定義すればよいのか。
沖縄県がこうした条例をつくり、「人権を守りたい」という意識を持つのは理解できるが、条例制定推進派の師岡康子弁護士(東京弁護士会)の主張にもあるように、詳しい実態調査が行われないまま条例を制定しようとするのは、「拙速」という批判を免れない。沖縄県は、条例案に対するネット上のヒアリングは行っているが、実態を調査した形跡は認められない。