離婚が絶対条件との脅し
大輔さんは毎日、子育てをしながら、今後どうすればいいのか、どうすれば妻子を守れるのか、必死に考え続けた。そして、彼は重大な決断を下した。
それは、日本に一時帰国し、「養子縁組届へのサインを躊躇したことへの謝罪、そしてミツカンの退職を伝え、その代わり、家族だけは守らせてください」と、和英氏・美和氏に直訴することであった。大輔さん自身、責められる落ち度はなかった。しかし、謝ることで家族が守れるならそれでいいと思ったのだ。
2014年12月15日、ロンドンから日本に帰国。ミツカンが本社を置く愛知県半田市に単身、出向いたのだ。面会場所に指定された会議室で大輔さんは美和氏と会い、そして詫びた。
「いままですみませんでした」
しかし、取り付く島がなかった。逆にこれまでの怒りをまくし立てられ、義母との面談は終了。大輔さんはそのまま会議室に残り、和英氏との面談を待った。30分ほど会議室で待機していたところ……和英氏が部下を従えて登場した。
会議は一方的な内容になった。
「ミツカンには、私はいるなとは言わないけど、お前(仕事)探してこいって」
「イギリスに行って仕事をするな、と俺は言ったのに、仕事をしてたろ! お前!」
「ロンドンの家にお前がいるということは、絶対もうこれから許さない!」
このような苛烈な罵声を浴びせられた。これは要するに……孫の親権はすでに奪ったので、大輔は用済みである。妻子を置いて、家と会社から出ていけ! と命じられたに等しかった。そして、このまま一方的な形で面談は終了した。
「大輔は種馬」だった……
イギリスの自宅に帰ったあと、詳細を報告した大輔さんに対し、聖子さんは慌てた様子で言った。
「『離婚が絶対条件』との脅しに従ったように見せる必要がある。偽装別居(さらに踏み込んで偽装離婚)をするしかない」
「あまりにもリスクが大きすぎる。家族なのに、なぜ隠れて会わなければならないのか?」
大輔さんの目には“問題の先送り”にしか見えず、賛成できなかった。
他方、これに合わせ、聖子さんは次のように提案をした
・家族がいつ引き離されてしまっても連絡を取り合えるように、
・将来の息子に、両親から愛されて育ったという事実を残してあげるために、
・“子育て日記”ブログを残す。
大輔さんは賛成した。
ブログのタイトルは、聖子さんの案で【Secret Family】と決まった。“秘密の家族”との意味のほかに、「何があっても息子と家族は守る」という強い思いを夫婦で込めたのだ。
大輔さんが和英氏・美和氏に会ってから4日後の12月19日、事態はさらに深刻になった。午前9時、ロンドンの自宅に和英氏・美和氏らがやって来て、大輔さん抜きで密談をしたのだ。大輔さんはのちのことを考えて、聖子さんにも内緒でマイクを仕込んでいた。
訪れた和英氏・美和氏は、とんでもないことを打ち合わせていた。
「(大輔は)種馬」
「子どもさえ産まれれば、仕事は終わり」
そして、和英氏は次のように部下に指示をした。
「(大輔を)片道切符で配送センターか工場に」
かつて和英氏・美和氏とK常務は、大輔さんに「養子縁組書類は(大輔を)追い出すための書類ではない。税金対策の書類だ」と説明していた。しかし、この言葉の真意が明らかになる。
「いまの状態は大輔君が○○君(息子)の親権をまだ持った状態のままでございますので、ここで離婚の調停ということに入っていきますと、非常にややこしい話になる可能性が高いと思います」とK常務。続けて、
「最初に決めるべきは養子(縁組)の手続きをする、しないということをご判断いただく」
「うん、すぐ(養子縁組届を役所に提出)する」と和英氏。
別室で発言を聞いていた大輔さんは、愕然とした。
「義父母は最初から“騙す”つもりでサインを強要していたのか……」