相次いで落とされる雷
大輔さんは結婚を機に、ミツカンに一般職として入社する。役員としての将来が約束されていた彼の配属は社長室。得意先への挨拶回りや工場研修のため、全国の工場や営業拠点を回るという特別なプログラムが組まれ、日本各地を過密スケジュールで目まぐるしく回っていった。
「当時、僕はミツカンの仕事を覚えようと必死でした。先輩方から熱い指導を受けましたし、同時に、婿さんはどんな人だろう? という、これもある意味で熱い視線も受けました。宿泊していたビジネスホテルに帰ると、文字どおりクタクタでした」
週末になると、やっと義父母や聖子さんの住む自宅(愛知県半田市)に帰ることができた。しかし、それはそれで気が休まらなかった。
「自宅の広い敷地内には、庭師とか資産管理もろもろを担当する数十人の社員さんやお手伝いさん、警備の方がいらっしゃって、皆さんの目が常にあるんです。しかも、和英氏や美和氏の目がありましたから。ある意味では、職場よりはるかに緊張感がありました」
ミツカンに入社した大輔さんの身には不穏なことが相次いだ。
結婚式の2週間前から、彼はミツカンで働き始めた。その間、社員寮で過ごすことになったが、布団がない。すると、「うちにあるから持って行きなよ」と聖子さんが申し出た。厚意に甘えたところ、義母となる美和氏が烈火のごとく怒り出した。
「婿入りするのに、道具すらもってこない酷いヤツだ」
美和氏は香川県の造り酒屋「西野金陵」出身であり、西野家も江戸時代から家業を守ってきた家柄。美和氏は大輔さんに対して特に厳しかったという。
結婚後も、大輔さんの受難は続いた。というか、むしろエスカレートしていく。引き継ぎで、お手伝いさんにトイレ掃除のやり方を実践してもらったときに起こった出来事もそのひとつ。
「無理やりトイレ掃除をさせられるという辱めを受けた。もう辞めたい」と言っているという悪意の報告がなされ、和英氏・美和氏が激怒。大輔さんはそのお手伝いさんに菓子折を持参し、土下座して詫び、事態をおさめている。
その他、挨拶回りの営業車の席順で揉めたり、大輔さんの敬称を呼び捨てにするか〝さん〟づけにするかで揉めたりして、その都度、和英氏や美和氏が激怒し、一騒動となった。
どこに行っても休まらない環境に加え、どこに行っても浴びてしまう注目。和英氏・美和氏から相次いで落とされる雷。大輔さんは心身ともに追いつめられていった。だがそんななか、一筋の光が差し込む――。
男の子を無事に出産したが
2013年12月に、聖子さんの妊娠が判明。3月に名古屋某病院の産婦人科でエコー検査を受け、子どもが男の子だということがわかった。そんな折、大輔さん夫妻を英国支店へ配転するという命令が下った。
それから数カ月後、まもなく渡英という時期になったとき、大輔さんは和英氏から呼び出され、真の目的を告げられる。
「英国で1年間の育休を取って、その間に他の仕事を探してくること!」
大輔さんは耳を疑った。ミツカンを辞めろという話がなぜ出てくるのか。完全に理解不能だった。
そのとき、彼は思った。
「僕は何のためにミツカンに入社したんだ? 辞めさせるつもりなら、最初から入社させなければいいのに……」
内心ではそんなことを考えていたが言えるはずもなく、大輔さんは黙っていた。すると、和英氏はさらにまくし立ててきた。
「お前、仕事を探してこいって!!」
大輔さんは混乱していて、何も言えなかった。
すると、追い打ちをかけるように和英氏は言った。
「中埜産業(中埜家の資産管理会社)の金庫で預かっておくから、渡英するまでに実印を作って渡すように」
実印の用途を詮索する余地などなかった。大輔さんは実印を作り、中埜産業に渡したのだった。
2014年6月、大輔さんは身重の聖子さんをともなって、イギリスに渡った。あらかじめ中埜家がロンドンの高級住宅地に購入し用意していた家に住み始めた。
生活は贅を尽くすという感じではなかった。両親の方針で、聖子さんは自身の貯金から給与に至るまで一切のお金を使えなくされていたため、生活費は一般職である大輔さんの給与ですべてやりくりした。さらに、その給与の使いみちにしても和英氏・美和氏への報告が課せられており、渡英後は1ペンスに至るまで大輔さんが家計簿をつけ定期的に報告をしていた。
異国での出産・生活ということからくる緊張はあったものの、間もなく息子が産まれてくるということへの希望を2人は共有していた。
育児休暇は聖子さんの出産後に始まるため、それまでの間、大輔さんは英国支店で勤務している。彼ら夫婦が渡英する2年前、ミツカンは英国の食酢、ピクルスの有力ブランドと生産設備を買収、欧州での展開を本格化させようとしていた。それもあって、彼のもとには翻訳すべき書類がたくさんあり、チームでの翻訳作業に忙しい日々を過ごしている。
8月末、聖子さんは無事に男の子を出産。イギリスでは当日の退院が一般的なため、大輔さん、聖子さん、産まれたばかりの息子は産後ケア施設に移った。
年表①