父子引き離しという地獄
2022年1月13日(木曜日)、東京地裁の709号法廷(定員42人)は満席だった。原告の男性が立ち上がり、用意した文書を読み上げ始めた。
「ミツカンと創業家によって、組織ぐるみで息子と引き離され、3年間生き別れております。息子がどこにいるのかわからず、生きているのかすらわかりません」
「美和副会長は『あれは家と会社から追い出したほうがいい』と打ち合わせていました。また、和英会長は『片道切符で日本の配送センターへ飛ばせ』という趣旨の指示を部下に出していました。さらに、ミツカンの顧問弁護士らは、“親子引離し”の目的で、『会社として大輔を日本へ異動させる』ことをミツカンに助言していました」
「(打ち合わせの議事録には)、そこに座っておられる、森・濱田松本法律事務所の奥山健志弁護士・大野志保弁護士の名前が明記されています。今後、尋問の機会が頂けるのであれば、彼らに、『なぜ人事権を使って親子を引き離すようミツカンに助言したのか?』、直接お聞きしたいと思います」
名指しされたことに驚きうろたえたのか。被告人席の向かって左端の弁護士はメモの手を止め、一瞬、鬱陶しそうな表情をした。そして、何事もなかったように無表情な顔つきに戻し、視線を落として再びメモを取り始めた。
原告男性の名は中埜大輔さん。
2013年、大輔さんはミツカンホールディングス(以下ミツカン)会長の次女、聖子さんと結婚する。結婚を機会に婿入りし、ミツカンに入社。翌14年8月には男の子が誕生した。そのときの思いを、大輔さんはブログに次のように書いている。
「とにかく、僕は、妻が無事で、赤ちゃんも元気いっぱいでいてくれたことに、ホッとして、同時に、これまで味わったことのない幸福感を感じました。(ああ、僕も父親になったんだなあ。よし、家族は僕が守るんだ!)」
大輔さんは1980年、東京都生まれ。慶應義塾大学商学部を卒業したあと、金融業界を歩んだ。大手証券会社に就職したあと2008年に転職し、香港に移住。スイスの大手銀行でバンカーとしてのキャリアを重ねていった。
転機となったのは2012年5月。当時、勤務していた銀行の上司から見合いの話を持ち掛けられた。相手はミツカンの中埜和英会長(8代目)の次女、聖子さん(当時、ミツカン専務)だった。
ミツカンの創業は1804年。その歴史は、造り酒屋だったミツカンの初代・中野又左衛門(4代目から中埜に改姓)が、江戸の〝すし〟に目をつけ、酒粕を利用した〝粕酢〟造りに挑戦したことから始まる。
食酢、ぽん酢の国内シェアは約6割にものぼり、グループの売上高は2400億円超。その半数が北米をはじめとする海外での売上だ。聖子さんはその跡継ぎと目され、婿選びのため社内にプロジェクトチームが作られた。探し出した相手が大輔さんだったのだ。
「ミツカンの創業家一族である中埜家。その莫大な資産をいかにして引き継いでいくか。そのための候補としての第1条件、それは“海外に強い人”だったのでしょう。だから、香港でプライベート・バンカーをしていた私が候補として選ばれたのだと思います」
事業承継を含めた代々の資産を引き継ぐというファミリー企業向けの仕事を手がけていた大輔さんは、まさにうってつけの相手だったのだ。
「上司の顔を立てることができれば幸いだと思い、断る理由は何もありませんので、お受けしました」
結婚で提示された3条件
夫婦の仲を切り裂き、息子を奪った会長夫妻
見合いは香港の有名な中華料理店で行われた。その場には聖子さんの他、両親である和英氏・美和氏、さらには番頭格のH専務がやってきた。大輔さん側は彼と上司A氏、仲人としてミツカンとA氏とがっていたB氏が同席した。
彼女の第一印象を大輔さんは次のように振り返る。
「聖子さんは白いパンツスーツにショートカット姿で、色白なかわいらしい女性でした。緊張していたのか、あるいは早くもNGと思ったのか、笑顔はありませんでした」
会話は終始穏やかだった。旅行の話や香港の話、これまで食べた珍しい食べ物などが話題になり、相手方から根掘り葉掘り訊かれることがないまま、会食は終了した。大輔さんは「これで上司の顔を立てることができた」と安堵し、結果については期待していなかった。
ところが、その日のうちに上司からかかってきた電話の内容は、予想外のものだった。
「やったな。1次試験を突破したぞ。明日のランチはお前とお嬢さんの2人だけだ。よろしくな!!」
翌日、香港でデートとなった。2人の会話は盛り上がり、意気投合した。その後も中埜家側は乗り気で、結婚が既定路線となっていく。跡継ぎと目されている女性との結婚だけに、中埜家からは、
・キャリアを捨てミツカンに入社すること
・元々の苗字を捨て中埜の姓になること
という2点が提示された。
さらに次の条件も提示され、こちらには承諾のサインを求められた。
「申立人については、近い将来、中埜家がオーナーとして経営するミツカングループの役員として、十分な報酬が約束されています。従って、申立人の妻である中埜聖子に対する遺留分の放棄を申請いたします」
財産の遺留分放棄とは、配偶者が死亡した場合に財産を受け取れる権利の放棄である。聖子さんとともに築いていく未来に目が向いていたため、大輔さんはその条件も自然な流れとして受け入れる。
「彼女がミツカンの後継者であることについては、『とても大きな荷物を背負っている』と思いましたね。『1人で背負うのは大変だから、2人で背負って次世代に引き継ぐまで一緒に頑張ろう』と。彼女にはそう伝えました」