最低限のモラルもルーティーンもない
決定的だったのは現場へのアクセスルートだ。咲洲メガソーラーの現場は周囲が金網フェンスでガードされていて、人や重機が出入りできるポイントは2か所しかない。
右ゲートは砂利道ではあるものの車で敷地中央部にある集電設備までアクセスできるが、轍には雑草が生えていて定期的に車両が往来しているようには見えない。そして、左ゲートに行ったらもっと驚いた。
現場で確認した所、左ゲートは完全な「開かずの扉」と化していたのだ。
左ゲートの辺りは、見渡す限り荒地のようになっていて、どこがアクセスロードなのかももはや判然としない。
そして、左ゲートの底面にびっしりと密生する雑草が、この門扉が長年にわたって一度も開閉されていないことを示していた。
友人のメガソーラー設備では、地表面に雑草が生えないように十全な措置を施しているにもかかわらず、定期的なメンテナンスを行い、それ以外にも落雷や荒天のたびに現場に足を運び、個別パネルや集電設備に異常がないか確認するという。
発電とは、市民の生命と生活を担う事業だ。完成したら終わりではなく、日々のメンテナンスにも手間とコストをかけるのは、全ての事業者にとって当然のモラルであるべきだ。
しかし、現場を見る限り、咲洲メガソーラーの実質的事業者である上海電力には、大阪市民の生命と生活を守るという発電事業者としての最低限のモラルもルーティーンもないことは明らかだ。
そして上海電力に発電事業を任せた大阪市にも、事業者を適切に監督するという行政側の仕事をしている様子はない。丸投げ、任せっきりだ。
私の尊敬する知人が「まともでない発電現場」と評した上海電力の咲洲メガソーラー。
なぜ「まとも」でないのか。それは、このプロジェクト自体に大阪市民の生命と生活を守る気がないどころか、中国による日本侵略の第一歩だからだ。