大阪取材 咲洲メガソーラーを再訪
4月21日はあいにくの荒天だったので、翌週、咲洲メガソーラーを再訪した。メガソーラーの発電現場なんて、何回行っても同じだろうと思われるかも知れないが、取材者の立場からするとそう単純なものでもない。
「現場100回」
社会部記者は取材が大きく展開したり行き詰まったりすると、同じ現場に何度も足を運ぶ。
私がTBS社会部で警視庁担当記者をしていた1990年代後半、7人いた警視庁記者クラブを束ねる「キャップ」を務めていたのが、読売新聞大阪社会部からTBSに転職してきたばかりの名物記者Aだった。
Aは朝から晩まで、休日も祝日もほとんどずっと東京・桜田門の警視庁本庁9階のTBSブースにいて、クラブ員の仕事ぶりを監視していた。
ロンドン支局から帰国してそのまま警視庁クラブ配属になった私のことをAが毛嫌いしているのは傍目にも明らかで、私は事あるごとにAと衝突した。
ある祝日、ひさしぶりの休みに心身共に疲労困憊して自宅で寝ていたら、朝早く電話が鳴った。出てみるとAだった。
「君は休日は家で寝ているタイプか。I君は自主的に取材に行ってよ」
Aは取材対象のみならず身内にまで異様な執着を隠さない人だった。
私が警視庁クラブを離れて運輸省記者クラブに異動した後も、Aとの確執は続いた。
そのAがある日突然、死んだ。まったく悲しくなかったが、ずっと戦っていたクソ上司がいなくなると、2日くらいは心に穴が空いたようになった。
不愉快な思い出しかなかったはずなのに、「取材に行き詰まったら、ただ現場に行くんだ」と言っていた眼鏡越しの憎たらしい目つきが何度も脳裏に浮かんだ。
Aが言うには社会部記者が意味がなくても現場に行くのは「怨念を体内に移植するため」だという。現場で無駄な時間を過ごすことで「他の記者よりもいかに長い時間自分を犠牲しているか」を体に叩き込み、その怒りを取材に振り向けるというのだ。
私はAのこういう所が最も嫌いだった。負のエネルギーによる他者の蹂躙。そんなことのために取材をしているわけじゃない。同じ「現場100回」でも、行くたびにそれなりの工夫をするから意味があるのだ。