〈「反日的」とは「反日本国」、つまりは政府の方針に逆らっているという意味にとれます〉
など、いわば言葉尻を捉えたものに終始した。
もちろん、私の妄言の証拠など提出できるわけもない。争点のすり替えでしかなかった。
証拠を示せなかった「朝日ジャーナル」
私は、原発取材に関しては慎重だった。電力会社のOKを取り付け、取材に訪れると、先方で一席もうけてくれることがある。拒否すれば取材に影響する。そこでありがたく御馳走になり、戻ってから饗応に見あった取材謝礼を送金した。あの福島第一では、取材謝礼を受け取ったのは初めてだと返事があり、近くの三春駒という木彫りの名産品をお礼として送ってきた。送り返そうと思ったが、知人に相談したところ、賄賂というより記念品の範疇だろうというので、受け取っておいた。
私は、無条件の推進派ではない。むしろ「原発やむをえない派」とでも言うべきだろう。エネルギー自給率4%、多く見積もる人でも6%という日本で、他に魔法のようなエネルギーでもあれば、もちろん原子力に頼るべきではないと考えている。
したがって、批判すべきことは遠慮なく批判してきた。たとえば、福島県の原子力センター。電力とは別に、自然放射線などを常時測定している。しかし、そこには原子力のPR館が併設してあった。
電力がPR館を設けるのは、いわば企業としては当然だろうが、本来、原発を監視し、取り締まるべき立場の県側が、原発のPRをやるのは筋違いだろう。3・11以降、福島県はしきりに東電の非を鳴らした。福島県民はたしかに被害者だが、いわば共犯である福島県が、東電の無限責任を主張するのは、理にかなわないだろう。
ともあれ、『朝日ジャーナル』とは反論の応酬になったが、かみあわないこと、夥しい。相手は、当方が「反対派を未開人と罵った」証拠などあげられないから、もっぱら議論をすり替えることしか考えない。私のほうも、2度『諸君!』の誌面を借りただけで終わりにした。当時は、雑誌、単行本など、あれこれ忙しかったから、筑紫氏に付き合っている暇がなかったからだ。