西岡教授は、日帝時代清算問題に関して韓国人が抱くあまりに大きな誤解の問題も指摘する。韓国人は徴用問題に代表される、すなわち日本に対して何らかの財産上の莫大な債権問題があると考える。韓国人はこの請求権がかつて軍事政権によって非正常的に処理され、文民政権でこの問題が正されねばならないと考える。
だが西岡教授は、この請求権が、本当に軍事政権で非正常的に処理されたのかは論外だとして、もし過去の日韓協定を現在になって覆せば、当時放棄した日本の韓国に対する莫大な請求権も考えねばならないと指摘する。国家の請求権でなくても個人の請求権は依然として残っている、韓国社会がこの請求権問題に対して引き続き執着すれば、これは韓国人にはかえってブーメランになる。
日本は国際法上、過去の朝鮮半島に残した工場、家屋等、不動産を始めとして様々な財産権があったが、日韓協定の時、国交正常化のために、結局これらを完全に放棄した。常識的にも日帝時代に日本人の各種財産が多かったのか、朝鮮人の各種財産が多かったのか、両国の国民が当時の権利を両国の法廷に今からなりふり構わず要求し始めたら、行き着くところ韓国にとって良いのか、はたまた日本にとってはどうか。
「徴用」ではなく「戦時動員」
書籍後半部で、西岡教授は本格的に「戦時動員」の実態を明らかにする。「徴用」ではなく、なぜ「戦時動員」なのか。実際「徴用」は朝鮮人には1944年9月以降に適用され、実質的には6ヶ月も推進できなかった。
現在多くの韓国人は、当時朝鮮人が日本に渡るようになった契機が、ただただ日帝の公権力による
「強制連行」とのみ考える。これは完全に錯覚だ。日韓併合以後、当時朝鮮半島の多くの朝鮮人労働者がより良い職を求めて日本に渡った。実際に、終戦当時200万人に達した日本居住朝鮮人中80%が最初から「戦時動員」とは全く関係なく日本に居住していた。これらの中で、相当数が家族と共に日本に渡った。これが既に「朝鮮人強制連行説」の厳然たる誤謬を示す。
朝鮮から職を求めて日本に渡る巨大な流れは、当時の資料の至る所で見つけることができる。代表的なものは「不法渡航者」だ。1933年から1937年までの5年間、およそ110万人が日本に移住を要求し、押し寄せるような要求に対して結局6割は不許可となった。
こうした中、1930年から1942年まで日本で発覚した不法渡航者が朝鮮に送還された例だけでも3万4千人に達する。いわゆる「戦時動員」はこうした巨大な移住の流れの1割に過ぎず、「戦時動員」も法的強制力が伴う「徴用」が1944年9月からである。甚だしきは、この時期でさえ日本に職を求めて完全に自発的に渡った人が60%だった。すなわち、日本において「戦時動員」とは結局、朝鮮から日本に溢れ出た労働力を戦争遂行に必要な産業に効率的に配置しようとする努力であり、当初日本に渡る意思のない朝鮮人を「奴隷狩り」のように連行したことでは全くなかった、というのが西岡教授の結論だ。