「日本統治時代」は遺憾だが、それ自体を不法化してはまずい
西岡教授は、「徴用判決」の最も決定的なやり過ぎは、その法理に「日本統治不法論」を持ち出す部分だと主張する。先述したように、原告は徴用工ではなかった。1944年9月、「徴用」以前に1939年から「募集」または「官斡旋」で日本に渡った事実上の自発的移住労働者だった。故に、韓国大法院は彼らをとにかく「強制徴用」というカテゴリーに入れようと、日本企業に賠償を命じて日帝時代そのものを不法化した。
しかし、西岡教授はこうした法理を適用しようとする場合の波紋を今一度考えてみよと語る。もし日帝時代全体が公式的に不法化されれば、当時日帝の施策をどのような形であれ従った、当時の朝鮮半島出身者たちは全員が、それなりの賠償を要求する公式的な権利を持つようになる。そうなると現在、日本としてはそもそも一年の国家総生産全体を韓国人に慰謝料として出そうとしても、恐らく賠償は完了しないだろう。事実、1910年の日韓併合条約が不法だというのはどこまでも韓国側の政治的主張なのであって、現在の国際社会に於いて国際法上受け入れられている訳ではない。植民地賠償ということ自体、どの国においても国際法上の前例はない。結局、韓国がこの問題を日本に貫徹させるならば、残された方策は事実上武力以外ない。果たして、これが望ましいことなのか。
日韓両国の現在と未来のために
西岡教授は日本人として、日帝時代が現在の韓国人にとって明らかに不幸な時代として記憶されている点は認め遺憾を表明するが、韓国がいずれにしても日韓協定の際、関連する一定の代価を得て国家発展のために使ったりもしたのだから、現在になって日帝時代全体を不法化するのは韓国人も容認してはならない、日韓間の未来志向的関係を考えなくてはならない、と語る。
(1)現在、韓国と日本は北朝鮮と中共という共通の敵があり、
(2)自由民主主義、市場経済、人権、法治という共通の価値観を持ち、
(3)貿易や投資でも強い相互結束、利害関係があるのではないか。両国の後代のためにも、過去史は過去史の問題として各々が整理すべきだ。もちろん過去史に対する両国の立場、視点の相違は幾らでも有り得る。だが国際法まで覆すことは、両国の現在と未来に何ら得策ではない。