今回、挺対協結成の経緯が改めて明らかになりました。
1987年8月、広島・長崎で開催された「原水爆禁止世界大会」に、「韓国教会女性連合会」会長の故李愚貞(イ・ウジョン)氏が来日し、KCIA(大韓民国中央情報部)の監視を逃れるために長崎湾に浮かぶ船上で日本社会党の清水澄子氏と秘密会談を持ったことに端を発するとのことです。
その席上で李愚貞氏と清水澄子氏は李愚貞氏が会長を務める「韓国教会女性連合会」(後の「挺対協」の母体)と、「日本社会党婦人部」、そして北朝鮮の統一戦線部傘下の「祖国統一民主主義戦線」の三者の連帯の実現に向けて努力することを誓いました。
その後、1990年11月に韓国で「挺対協」が結成。1991年の5月には日本社会党傘下の「日本婦人会議」が企画する「アジアの平和と女性の役割シンポジュウム」の第1回が東京で開催され、北朝鮮代表の呂燕九(ヨ・ヨング)祖国統一民主主義戦線議長と当時の韓国「挺対協」共同代表の尹貞玉(ユン・ジョンオク)氏と李効再(イ・ヒョジェ)氏がそこに参加し、南北共闘に合意したとのこと。
つまり、日本という第三国、日本社会党の仲介で南北朝鮮が共闘を誓ったということです。
慰安婦問題の拡大に日本社会党が深く関わっていたことは聞いていましたが、やはり、挺対協もまた誕生当時から北朝鮮の工作機関(統一戦線部)と一体だったのです。
これで、挺対協の目的が慰安婦問題の解決ではなく、逆に慰安婦問題を解決不能になるまで悪化させ、日韓関係を破綻させる方向で活動していることが腑に落ちます。北朝鮮の利益のために活動してきたのです。その挺対協が文在寅政権下で活発化したのは偶然ではありません。
北朝鮮こそが民族的正統性を有していると信じる文在寅政権は、親北極左革命政権であり、いわば挺対協と同類です。だからこそ、ユン・ミヒャン氏が与党国会議員になれたのです。
これが慰安婦問題の正体です。そして、挺対協(正義連)とは、元慰安婦と自称元慰安婦を政治的に利用し、日韓関係を崩壊させながら私腹を肥やした悪徳活動家集団です。ユン・ミヒャン氏が慰安婦像ビジネスでいくら稼いだかもこの際、精査されるべきでしょう。
慰安婦問題解決のために、非常に多くの人が努力し、税金を含む多額のお金が使われました。また、慰安婦問題のせいで、多くの海外在住日本人がいわれのない嫌がらせを受けました。
日本はもう慰安婦問題に関わるべきではありません。そして、挺対協が世界中にばら撒いた欺瞞の象徴である慰安婦像はすべて撤去されるべきであることは言うまでもありません。
それが結局、分断工作と被害者詐欺ビジネスという最悪の姿を晒す結果となってしまいました。しかし、これもまた、挺対協が誕生した瞬間に定められていた宿命だったのでしょう。
著者略歴
情報戦略アナリスト。日本国際戦略研究所(DMMオンラインサロン)主宰者。公益財団法人モラロジー研究所研究員。1965年、東京都生まれ。中央大学卒業後、シドニー大学大学院、ニューサウスウェールズ大学大学院修士課程修了。22014年4月豪州ストラスフィールド市で中韓反日団体が仕掛ける慰安婦像公有地設置計画に遭遇。シドニーを中心とする在豪邦人の有志と共に反対活動を展開。オーストラリア人現地住民の協力を取りつけ、一致団結のワンチームにて2015年8月阻止に成功。現在は日本を拠点に言論活動中。著書に、国連の欺瞞と朝日の英字新聞など英語宣伝戦の陥穽を追及した『日本よ、もう謝るな!』(飛鳥新社)など。