尾道は瀬戸内海を行き交う海上交通の要衝として栄えた、古い港町である。目の前に向島(むかいしま)という大きな島が迫り、こちら側の岸と挟まれて、瀬戸内海が大きな川のようにせばまっている。この「尾道水道」は古来、天然の良港だ。12世紀には公の港が開かれ、江戸時代に入ると北前船が寄港し、交易で富を蓄えた豪商が軒を連ねた。彼らはその財を惜しげもなく投じて、町をかたちづくり、寺を次々に建立した。前の戦争でなぜか被災しなかった尾道には、その長い歴史のすべてが、あるいはその痕跡が、あちこちにぎっしり積み重なるように残っている。
浄土寺の内庭にも、ふわりと風が吹いた。他に誰もいない広縁に立って、小さな茶室と築山を眺めていたときだ。この風も海から駆け上がってきたのだろうか。
この街でひとびとは海沿いの平地で暮らし、そこからすぐ急な坂道を上った山の手に、東西に連なるように寺が並んでいる。浄土寺はその東のほぼ端だ。創建は7世紀、聖徳太子が開いたとも伝わる。14世紀建立の本堂と多宝塔は国宝に指定されている。
昔は81あったという寺の数も、今では25になっている。それでも、この山の手に25寺もあるのだ。有名な千光寺にはロープウェイで行くけれど、そのほかはだいたい、「古寺めぐりコース」と呼ばれる道をたどって順ぐりにめぐることができる。小さくて静かな、それぞれのお寺の表情を拝しながらのんびり歩いていく。
天寧寺の本堂前の石段に、外国人女性が腰掛けていた。ちょっと年配で、たぶん一人旅なのだろう。私が本堂の中を拝見しようと、ごとごと音を立てて戸を開けていても気にせずに、ぼーっと空を眺めている。
それからすぐそばのお堂に納められた五百羅漢さまをじっくり見て出てくると、その女性はもういなかった。次のお寺に向かったのだろうか。
いつまでもそんな旅をしていたいなあ、と思う。彼女のように、たとえばヨーロッパのどこかの小さな町で、その町の古い教会前の広場でぼーっと座っているような旅。そうしてその土地の時間を呼吸するのだ。
妙宣寺の白い、小さな枯山水の庭の前には黒猫が寝そべっていた。ひとが入らないその庭も、猫は堂々と横切っていくので話題になっているのだという。水色と桃色のアジサイが花盛りだった。そういえばあちこちの寺で、街角で、色とりどりのアジサイがいっぱいに咲いている。私はちょうどそんな季節にやってきていたのだ。
妙宣寺のアジサイと猫
林芙美子の足跡を辿る
尾道に来てから気づいたのだけれど、6月は作家・林芙美子の亡くなった月だ。「あじさい忌」として、芙美子とゆかりの深い尾道では毎年6月下旬に追悼行事が行われる。今年は28日の日曜日。ちょうど命日に当たる。
幼い頃から両親に連れられ、旅から旅への暮らしを続けていた芙美子は自らを「宿命的に放浪者」と呼ぶ。その彼女が唯一、「旅の古里」と懐かしんだのが尾道だ。この町で小学校と女学校に通い、生まれて初めて友だちができた。憧れの教師に文才を見出され、作家になるという夢を励まされた。
芙美子一家が間借りしていたという家が、尾道駅前から長く続く商店街の一角に残っている。この商店街は東西に伸び、かつて京都まで続いた西国街道の道筋そのままだということだ。街道を横切って、南北にいくつもの「小路(しょうじ)」と呼ばれる路地がある。芙美子の旧家もそのひとつに面している。小路はまっすぐ海に続く。そこから風が吹き上がってくる。
商店街にはまた別の風が吹き過ぎる。早朝、自転車に乗った高校生が次から次へと疾走していくのだ。尾道駅前の港から渡船に乗って、向島の学校に通う生徒も多い。乗船時間は3分、運賃は100円。夕暮れ時、また渡船に乗って帰ってきた高校生たちは、友人と海を見ながらいつまでもはしゃいで笑っていた。
商店街にはシャッターの下りた店も多い。でもいくつかはきれいに改装されて、カフェや雑貨店やゲストハウスになっている。若い観光客がスマホを片手に、そうした店を訪ね歩いている。
商店街から山の手へ向かっていった先に、芙美子が通った小学校がある。つい昨年、長い歴史に幕を下ろして閉校してしまったが、校舎と、そこへ登っていく長い石段が残っている。曲がりながら続く石段を歩いていると、猫が1匹現れた。私に気づくと脇にそれて、薪を背負った二宮金次郎像の陰で毛づくろいを始めた。
振り返ると、商店街のアーケードの向こうに海が見えた。風が吹き上ってくる。この町の隅々から、ほこりを拭き払っていくように。
(訪問日:令和8年6月10日~12日)
※note「瀬戸内みなみの『猫とおさんぽ』」より転載
旧土堂(つちどう)小学校へ続く石段

