まだ歴史になっていない安倍晋三
人名がそのままタイトルになっている中公新書はこれまでにも多数、刊行されている。日本人だけを見ても『北条義時』『足利義満』『織田信長』『徳川家康』『高杉晋作』『板垣退助』『山県有朋』『桂太郎』『幣原喜重郎』などなど、いずれも歴史の教科書でお目にかかる名前ばかりだ。
さらに時代が下って『田中角栄』『高坂正堯』などは直に謦咳に接した人たちもまだ多くいるが、その名を冠する書物が中公新書で刊行されたのは、没後20年近く経ってからのことだ。
今回取り上げる服部龍二『安倍晋三――平成・令和の光と闇』(中公新書)は、実に安倍の没後4年の命日を前に刊行されたことになる。中公新書+人名=歴史上の人物、という感覚が強すぎるせいか、どうも表紙に載る「安倍晋三」の文字と、中公新書のデザインに違和感を覚えてしまうのは、まだ安倍の存在が筆者(梶原)にとっては歴史化していないからだろう。
著者の服部氏は先に挙げた『田中角栄』『高坂正堯』の他、『佐藤栄作』『中曽根康弘』など政治家の評伝を多く手掛ける政治史学者。安倍の評伝を書くことについて、服部氏は「あとがき」でこう述べている。
安倍の在任期間が桂太郎の通算在任日数を抜いたころから、いつか安倍の伝記を書きたいと考えていた。安倍についての本や論文は大いに参考となった反面、時評や特定の立場からのものもあり、バランスのとれた評伝が不可欠に思えた。もっとも、安倍は首相を退任してからも最大派閥の長であり、安倍の評伝に着手するのは相当に先となるはずだった。それだけに、2022年7月の暗殺は衝撃だった。
よもやの暗殺により、こんなに早く執筆の機会が訪れるとは夢にも思わなかった。

