響きわたるウグイスのさえずり
上高地には、ひみつの小道がある。
誰も知らない、私だけの小道……といいたいところだが、残念ながらそうではない。雄大な北アルプスの懐、中部山岳国立公園のなかにあり、国の特別名勝・特別天然記念物にも指定されているこの上高地に、いまさら人間が勝手に入っていける場所のあるはずがない。花一輪だって摘んではならないのだ。それに笹やぶにはツキノワグマがひそんでいるかもしれないし、ヘビもいるし、どこに沼や池が隠れていて、足を取られるかわからない。
だからその小道も、ちゃんと地図に載っている。が、もちろんどこかはひみつである。ある地点からある地点へ、ゆっくり歩いて5分くらい。いつ行っても、ひとがいない。あまりの混雑にいつももみくちゃにされる河童橋あたりの喧騒も、ここへは届かない。神々しさに息をのむ、雪を残した穂高の輝きもここからは見えない。冷たいほど澄んだ梓川の広々とした流れも、どこまでも美しく並ぶカラマツも。
ただ静かな道だけがある。初めて何気なくここに足を踏み入れたときは本当に、私はいったいどこに迷い込んでしまったのだろうと、ふいにキツネにつままれたような思いに襲われたものだ。何度も来ているはずの上高地なのに、とても新しい景色だった。この道をたどっていくとどこへ出るのだろう、そのうち誰も見たことのない桃源郷が目の前に開けるのではないだろうか。上高地なら、そんな不思議なことだって起こるかもしれない。
そう思いながらふらふら歩いているうちにまもなく、よく見知った風景が現れて、ちょっとがっかりしてしまったのだけれど。
それでも毎年、私は上高地に着くとまっさきにこのひみつの小道に向かうのだ。もしかしたらやっぱりどこか、知らない国に通じているのではないかと思いながら。
小道は少しうねっていて、両側には木立と、よく繁った笹やぶがどこまでも広がっている。春はこのやぶに住むウグイスが、喉をいっぱいに震わせるさえずりが響きわたる。ホーーー、ホケキョウ。一昨年は木も草も、いつまで見ていても見飽きない初々しい新緑をまとっていた。昨年はそれに加えて、小道に沿ってどこまでも白いニリンソウが花盛りだった。時季は同じころなのに、いつも少しずつ違うのだ。今年はそのニリンソウも、盛りを少し過ぎていた。私はしゃがんで、じっくり眺める。たった5弁の小さな花もかわいいけれど、ギザギザの葉っぱに白い斑(ふ)が点々と散っているのも面白い。時間がゆっくり過ぎていく。
上高地のニリンソウ

