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映画『熱狂宣言』  奥山和由監督インタビュー

■清涼剤のような存在

──映画『熱狂宣言』は、「外食業界の風雲児」の異名をとり、若年性パーキンソン病であることを告白した、DDホールディングス社長・松村厚久のドキュメンタリーです。普段、奥山さんは映画をプロデュースする立場ですが、今作では監督。レーサーのドキュメンタリー『Crash クラッシュ』以来、十五年ぶりの監督はいかがでしたか?

奥山 実は、そういう意識は全くないんですよ。そもそもこの映画も、最初は自分が監督するつもりはなくて、テレビマンユニオンの監督を立ててやるつもりでいましたから。結果的に監督になっちゃったという感じで(笑)。

――松村さんを撮影対象にしようと思ったきっかけは?

奥山 二〇一六年末に、退屈していて一人で海に行こうとしたんだけど、電車に乗る時間が長かったから、ブックオフに行って本を探したんです。いろいろ見ていたら、『熱狂宣言』というタイトルの単行本が目に入って、その表紙写真の男の顔立ちがとてもよかった。当時、僕は映画を作ることに手枷足枷首枷をはめられているような妙な閉塞感を覚えていたから、彼のぶれない目つきみたいなものに惹かれたんです。

 それに著者が小松成美さんで、彼女の書いた『中田英寿 鼓動』がおもしろかったから、小松さんの書くものならと思って買いました。車中で読んでいたら、小松さんも出てくる人たちも、やけに松村厚久という人を持ち上げている。「すばらしい人だ」「彼を支えているのではなく、僕が彼に支えられている」……ちょっと気恥ずかしくなるぐらいで、「あの小松成美にして、ここまで書かせる男なのか」と驚いて、会いたくなったんです。年が明けてから版元の幻冬舎に頼んで、会うセッティングをしてもらいました。

 こういう仕事をしているから、誰かに会う時、頭のなかに「映画にできるかな」という思いは常にありますが、会って惹かれなければ映画にはできないんだけど、会うやすぐさま「撮ろう!」と決めました。

──どこに惹かれたんですか?

奥山 自分にとって、何かプラスになるようなオーラを持っていて「彼を見ていると元気になる」と感じたんです。それが何なのかを突き止めたいというよりも、この人を撮ることで同じ時間を過ごしたい、という気持ちが強かったですね。先ほど言った、閉塞感のなかにいる自分にとって、一服の清涼剤のような存在になりました。

 ただ、病気のサポートもあって常に社員が傍にいるから、一度、「二人っきりで話をさせてくれ」とお願いして、二時間くらい松村さんと二人だけで話しました。背筋を伸ばして、相手の目を見て、僕の話も一所懸命聞く。喋りにくくても、伝わるまで頑張って話す。とても真摯でしたね。

 そろそろ終わりにしようと思ったら、いつもはスマートフォンで社員を呼ぶんですが、「奥山さん、(スマートフォンの)このボタンを押して社員を呼んでくれます?」と言われました。話している間に体が固まっちゃったんですね。この時だけでなく、そういうつらい状態になっても、自分からは決して「終わりにしましょう」とは言わない。相手が帰るというまで相手をする。あれはすごいと思いましたね。

 忙しく、次の予定があるので早めに打ち切ろうとすると、「もう帰るんですか」と駄々をこねられたこともあって。「寂しいじゃないですか!(笑)」と素直に言ったりね。人が好きなんでしょう。

■身近な人が撮影を

──本作の特徴は、奥山さんが常に松村さんの傍にいて、彼に向けてカメラを構えているのではなく、松村さんの身近にいる社員さんなどにカメラを託してしまっているところです。監督がカメラを放棄するドキュメンタリーってないですよね。

奥山 初めて会ってすぐに「この人は映画にできるな」と思ったんだけど、いざこちらがカメラを構えると、サービス精神旺盛だから演じちゃうんですよ。逆に不自然で、本当の松村さんの姿を捉えられない。だったら、もう身近な人にカメラを渡して、普段の姿を撮ってもらおうと考えたんです。

 ドキュメンタリー映画の特権は、画面がぶれていようが、焦点が合ってなかろうが、そこで何をしているのかさえわかれば画面の質は二の次になること。だから素人である社員でも、ボタン一つで映しておいてもらえば、それが映画の素材になったんです。

 深作欣二さんは、「人間を見て、その人が楽しければカメラを向ける、それだけでドキュメンタリーはできあがる」という発想の人でした。だけど、それは名匠、巨匠だからなんですよね。僕一人の力ではとても無理だから、いろいろな人の力を借りました。あとから見返してみたら、僕が撮ったところは使えず、社員が撮った映像のほうがいいものばかりでしたよ。

──全部で何時間分くらい?

奥山 どれくらいだろう。たぶん、映画本編で使ったのは一%くらいです。

──編集が大変だったのでは。

奥山 まず、ざっくり作ったら二時間四十五分くらいになって、どこをどう削っておもしろくしようかと悩みました。いつも松村さんのそばにいる社員とそばにいない僕とで、どこがおもしろいか、どこに興味を持ったのかを話しながら編集していきました。

奥山監督

■負の部分が魅力

──序盤で監督が画面に登場して、この映画の撮影の意図を説明しだしたのには驚きました。

奥山 僕がプロデューサーだったら、ドキュメンタリーで監督が出て来て説明するなんて「ふざけるな」と言うところですが(笑)、インチキ監督なので、「こういう無責任な撮り方をしましたよ」と言い訳をしておいたんです。ただ、結果的にはいろいろな人がカメラを持つことで、松村厚久という人物のプリズム状の光を撮れたと思います。

 この撮影方法について、『キネマ旬報』の元編集長が楽しんでくれたり、脚本家の鎌田敏夫さんも褒めてくれましたよ。鎌田さんなんかテレビドラマの巨匠だから、こんなやり方は怒られるかと思った(笑)。

 あと、試写会に安倍昭恵さんも来られて、「熱狂しました」と仰ってくれました。「私もハンディカメラで主人を撮ったら映画になるのかな」とも(笑)。そりゃなりますよね。

──ナレーションや説明などは一切ありませんでした。

奥山 当初は役所広司さんにナレーションをお願いできたらと思ってたんですが、ナレーション原稿を考えると、どうも合わない。言葉にしてしまうと分かりやすいんだけど、カッチリしすぎてイメージが固定化されるんです。松村さんの魅力というのは、活字にならない行間みたいなところにある。ロジックで考えるとそぎ落とされる負の部分と言えばいいのかな。

 僕には外食産業のことはわからない。松村さんのビジネスマンとしての評価もわからない。だけど、とにかくストレートで、オープンマインドなのはわかる。では、何でそうなったかといえば、やはり病気になったからでしょう。

 映画の素材として病気以前の資料を見たけれど、正直言っておもしろくもなんともない(笑)。もちろん百店舗百業態という目標を掲げてイケイケでやっていたけど、それは狙いすぎだったように僕には見えました。

 そんな折に若年性パーキンソン病になり、発症まであと五年と言われてから、ありていな言葉でいえば「駄目でもともと」という感覚で、自然にアグレッシブになっていった。

 人に会う時に具合悪そうに見られるのが嫌だから、華やかな格好をする。それが受けたからよりおしゃれに気を使う。足腰が自由に動かないのに、人の前に出てパフォーマンスもしたくなる。パフォーマンスをすれば、あとでぐったりしてしまう。そういう負を押し返そうとし、また反動が返ってきて……という狭間みたいなところがおもしろいなと思いました。

■株主全員に許諾を

──株主総会のシーンが長めに使われていて、他のシーンとのギャップを感じました。

奥山 事業家として、唯一向かい風に立っているところですね。ああいうシーンを入れておかないと、パーティで騒いでいるのが大好きな気な社長になってしまうので(笑)。企業家として、こういう場に立ち、仕事をしているシーンとして残りました。

 株主総会の映像は、本来、目的外使用は禁止されているから、使用するのに苦労しました。僕がではなく、会社の人がですが(笑)。株主全員に許諾を取ったんですよ。

──あの松村さんにクレームを入れている人にも?

奥山 もちろん。誰かわからないように、映像や音声には加工を施しましたけどね。

 個人的には、株主総会のあとで「どうってことない」と言いながらちょっとショックを受けている松村さんの顔が好きですね。あれが正と負の真ん中あたりの表情なのかなと。

──映画のジャンルで言うなら「難病もの」ですが、感動させようとはせず、松村さんと周りの人が楽しんでいるのが伝わってきますね。

奥山 難病と戦う姿よりも、その周りにいる人のほうを撮りたかったというのもあります。「社長がかわいそうだから支えよう」というのではなく、「この人が好きだからサポートしよう」という感じ。たしかに社長と社員という関係ではあるんだけど、腫れ物に触れるようではなく、時には具合の悪い松村さんを引きずったりしていたでしょう(笑)。そういう関係性がよかったですね。

 映画内でも使いましたが、あまりに松村さんが元気だから「病気が治っちゃいそうだね」と言ったら、「何言っているんですか、治りますよ!」と。普通、病人のほうが「治るかな」と気弱になって、周りが「治るよ!」と励ますものだけど、逆だった(笑)。そういう人なんですよ

■共犯意識が楽しい

──本作の次は何を?

奥山 十一月十七日にプロデュースした『銃』(武正晴監督、中村文則原作)が公開されます。

 いまは大林宣彦監督の『海辺の映画館─キネマの玉手箱』を製作中です。大林監督、元気ですよ。打ち合わせの時は車いす、クランクインが近づいてくると杖になり、撮影に入ったら普通に立って歩いているんですから(笑)。先日はロケ地で大雨が降っているのに、一人で杖もなく山を登っていました。中島貞夫さんといい、山田洋次さんといい、あの年代の人はお元気だ。

──映画製作は楽しいですか?

奥山 先日、中島さんが「皆さんに迷惑かもしれないけど、あと一本撮りたい」とおっしゃっていたので、僕はこう言いました。

「中島さん、そもそも映画製作自体が迷惑なんです。迷惑をかけてやるのが映画ですから」(笑)

 当たるかどうかわかりませんし、作らなくてもいいといえば作らなくてもいいんだから、映画製作って迷惑でしかないんですよ(笑)。

 でもやっぱりおもしろさはあって、一つは迷惑であるはずの映画が、ある段階で利権になる。つまり、儲かりそうになる。すると、やたら人が群がってくるんですよ。それを排除しながら、いかに自分の思う作品にできるかという権力ゲームみたいなところがあって、それに燃えますね(笑)。

 もう一つは、負け戦だろうが勝ち戦だろうが、やっているうちに本当に映画が好きな人間が集まってくる。そういう純化した気持ちを持って一緒に作品を作っていく仲間意識、というより共犯意識みたいなものがあって、それが楽しいですね。

──本作撮影前にあったという閉塞感は、この作品を監督することで突破できましたか?

奥山 うーん、まだあるし、閉塞感それ自体を楽しむことはできないんだけど、許される範囲内で自分をどう熱くさせられるか、おもしろがらせることができるか、ということを考えるようになりました。

 そういう意味では、松村さんに会って、この映画を撮ってよかったなと思います。

製作・監督/奥山和由 出演/松村厚久 11月4日 TOHOシネマズ六本木ヒルズにて公開

(配給・KATSU-do/チームオクヤマ) (c)2018 吉本興業/チームオクヤマ

おくやま かずよし
1954年生まれ。大学在学中に深作欣二、斎藤耕一などに師事。1982年『海燕ジョーの奇跡』で映画製作に初めて携わり、その後『ハチ公物語』『226』『その男、凶暴につき』など多数のヒット映画をプロデュース。1994年『RAMPO』で映画初監督、日本アカデミー優秀監督賞などを受賞。1997年製作の『うなぎ』(監督/今村昌平)では第50回カンヌ国際映画祭パルムドール賞を受賞。『地雷を踏んだらサヨウナラ』でロングラン記録を樹立。

著者略歴

  1. 編集部

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