被害者の証言のみで十分
私の名は、荻原岳彦。45歳男性で、現在、小菅の東京拘置所にいます。
私の氏名をインターネットで検索すると、おそらく複数の記事が出てくることでしょう。私がロンドンで「女性」をレイプし、禁固11年の判決が下されたとされる話で、これらは2018年春頃に複数の週刊誌(『週刊新潮』 『FLASH』など)に出た記事のネット版です。
記事掲載当時、私はすでに英国の刑務所におり、事情を説明することもできず、〝死人に口なし〟でした。
私は大学卒業後、日本銀行、リーマン・ブラザーズ証券、メリルリンチ証券を経て、野村證券に転職。駐在員としてロンドンに在住していた2013年9月24日、日本人女性と日本法にて結婚しました。ネット記事に出ているレイプ被害者のCAというのは、当時の妻のことなのです。
「監禁した」などと書かれていたようですが、我々は当時、ロンドンで婚約者、そして新婚夫婦として同居していたのであって、監禁も何も、ただの同居であり、当然ながら、通勤や買い物のための外出も普通に行われていました。
英国では夫婦間でもレイプが成立し、レイプの証明は「あれは同意ではなかった」などという被害者の証言のみで十分なのです。
いわゆる、不同意性交罪ということなのですが、そこに細かい構成要件があるわけではなく、たとえば、英国における私の弁護人は私に会うなり、こう言いました。
「イギリスの刑事裁判は、陪審員から見て被害者と被告人のどちらが好きか、それだけ。証拠ではなく、感情。明確な証拠の出ない不同意性交(レイプ)では、特にそうだ」
また、陪審員が有罪・無罪の判決を議論するにあたって裁判官が陪審員に示したインストラクションは、「あなた方がこれをレイプだと思ったなら、レイプなのです」ということのみでした。なお、英国では陪審員は一般市民のみにより構成されており、そこに職業裁判官は入りません。
そういうことなので、ある日の性交渉は不同意(つまりレイプ)、しかしその翌日の性交渉は同意、ということでも話として受け入れられてしまうことが、英国における私の公判結果からもわかります。
そもそも、レイプがあったという2013年9月14日の10日後である9月24日に、我々は結婚しているのです。とんでもない矛盾ではないでしょうか。
ちなみに、英国では性犯罪に時効がないため、刑務所で会った英国人受刑者で、たとえば70歳代の人は50年前の20歳代だったころに交際していた女性から50年の時を経て訴えられ、刑務所に入れられていました。このようなことは珍しいことではなく、むしろザラでした。
東京拘置所
「警察に駆け込んだ」は嘘
ここで、簡単に時系列を振り返ります。
・2013年7月10日 ロンドンでの合コンで彼女と出会う。彼女は日本人で、英国在住の客室乗務員
・同年8月6日 婚約、ロンドンにて同居開始
・同年9月14日 私が彼女をレイプしたとされる日
・同年9月24日 結婚(彼女が日本へ行って区役所に婚姻届提出)
・同年9月下旬から10月下旬 パリへ新婚旅行、ロンドンでのお披露目会等
・同年10月23日 芝公園プリンスタワーにてDV傷害事件があったとされる日(日本で現在、公判中の事案)。この週は夫婦それぞれの用件で日本に滞在しており、同じホテルに宿泊
・同年10月26日 妻、ロンドンの自宅に戻る(予定どおりのフライト)
・同年10月27日 私もロンドンの自宅へ戻る(予定どおりのフライト)。家はもぬけの殻
・同年11月末 妻の日本法の弁護士より離婚請求(理由はDVのみ)と、離婚慰謝料(600万円、のちに800万円に増額)請求がされる
私はロンドンでこの内容証明を受け取りましたが、書面には「さもなくば日英警察に暴行で被害届を出す」と書かれていました。同年12月上旬、私は妻サイドへこう伝えました。
「離婚には応じるが、そんな法外な慰謝料は払わない」
これで交渉決裂となり、2014年3月11日、妻側はロンドン市警に被害届を提出しました。「暴行」ではなく、「レイプ」にエスカレートさせて……。
『週刊新潮』には「監禁が解かれると、その証拠を持って警察に駆け込みました」とする記述があり、『FLASH』は「2013年、英国で発生した監禁レイプ事件は、被害者である客室乗務員(CA)の女性がロンドン中心部、パディントン・ポリスステーションに駆け込んだことで発覚した」と報じました。
私が彼女をレイプしたとされる日は2013年9月14日であり、彼女が警察に行ったのは2014年3月11日です。「駆け込んだ」のではないことは、これで一目瞭然ではないですか。捏造はこれだけではありませんが、そのレイプ被害者なるCAが当時の妻であることをなぜ両誌ともに隠したのか、いまだに憤りを禁じえません。