刑事事件としては完全に終結
(写真撮影/佐藤佑樹)
私に取材依頼をした「記者」たちのなかには、私と面識がなく、連絡先を知らない者も多くいた。それでも彼らは、たとえば私の本を出した出版社に問い合わせをしたり、知人経由でTBS関係者まで辿り着いたりして、私の連絡先を何とか探した。
ところが、金平はどうだ。私はTBS報道局に26年間いたから、その気さえあれば、金平はいとも簡単に私の連絡先を入手できたはずだ。あるいは、金平の携帯やパソコンには、いまでも私に繫がる連絡先が保存されていてもおかしくない。
しかし、この案件が最初に報道されてから半年が過ぎるいまも、金平は私に全く取材をしていないのである。この1点だけを見ても、金平茂紀は「記者を名乗る資格の全くない人物」と断定できる。
そもそも記者の2条件のうちの①について完全に失格の烙印を押された金平が、条件②について「万が一の可能性」まで検討しているはずもない。しかし、金平が「劣等な記者」ですらなく、そもそも「記者を名乗る資格がない」人物だということを理解していただくために、あえて言及しよう。
今回の案件は、「犯罪事実があった」と主張する伊藤氏の主張は、検察と検察審査会によって、2度にわたって退けられた。日本の法制度上、刑事事件としては完全に終結し、伊藤氏の私を犯罪者にしようという目論見は失敗に終わったのである。
普通の記者ならば、「なぜ伊藤氏の主張は退けられたのか」という点をまず検証する。しかし今回の場合、テレビのワイドショーや週刊誌の報道は、取材も根拠の提示もなく、盲目的に伊藤氏側の主張に寄り添うものが少なくなかった。
たしかに、うら若い独身女性が「レイプ被害に遭いました」と顔出しで告発すれば、世間の注目を一気に集めるだろう。そして、「記者でない一般の人」であれば、顔を出して告発した伊藤氏に同情し、「薬物を盛られて意思に反して性行為がなされた」という彼女の主張を信じてしまうかもしれない。
しかし、そこで「ちょっと待てよ」と立ち止まるのが、一般人と記者の違いである。しかも今回の場合は、客観的証拠を元に、検察と検察審査会が2度にわたって彼女の主張を退けているのである。伊藤氏の主張に辻褄が合わないところがあったのではないかと考えるのが、普通の記者である。
証明するのは伊藤詩織の最低限の義務
警視庁の捜査員は捜査の過程において、2015年4月3日深夜から朝にかけて、伊藤氏が「ブラックアウト」(アルコール性健忘)という状態になったと推定した。要するに、伊藤氏は朝まで意識がなかったのではなくて、寝る前に一定時間起きて行動していたが、そのことを覚えていない可能性が強いというのである。
伊藤氏の「犯罪事実があった」との主張は、「朝まで意識を失っていた」ということがすべての前提となっている。ところが、真実は違う。ビールやワインや日本酒を飲みすぎて、自分のしたことを覚えていないだけなのである。
あの夜、自ら飲みすぎて自力で帰宅できないほどの酩酊状態となった伊藤氏は、タクシー車内やホテルの部屋やトイレで繰り返し吐き、そのまま眠ってしまった。その後、起きてトイレに行った伊藤氏は、自分が様々なところに吐き散らかしたことに気が付き、私に対して猛烈に謝罪してきた。
トイレに起きたあとのことを伊藤氏が全く覚えていないとは正直考えにくいというのが私の立場である。伊藤氏は、本当は覚えているのに私を犯罪者に仕立て上げるために黙っているか、あるいは自分に都合よく記憶を書き換えてそれを信じ込んでしまうタイプの人物なのだと思っている。
しかし百歩譲って、伊藤氏が本当に覚えていないとしても、それは警察の言うとおり、飲みすぎて記憶が飛んでしまった「アルコール性健忘」なのであって、そもそも犯罪行為など全くなかったのである。
繰り返すが、善意に解釈しても、伊藤氏はアルコールを自ら過剰に摂取したために、自分で何をしたか忘れてしまっただけなのである。「犯罪事実がなかった」以上、警察も検察も検察審査会も、伊藤氏の主張を退ける。当たり前のことである。
しかし、その真実を受け入れられないばかりに、「事件が消される」 「社会システムがおかしい」というのであれば、まず自分が「アルコール性健忘に陥った可能性が全くない」というところから証明するのは伊藤氏の最低限の義務である。
ところが金平は、この「アルコール性健忘」という、警察と検察と検察審査会が認定した可能性すら、何の根拠も示さずに門前払いしている。「酒を飲みすぎて記憶が飛んでしまう」という珍しくもない話があの夜の伊藤氏に起きなかった、と金平は根拠をもって証明できるというのか。
自らを記者と自称するなら、自分で何を取材し、どういう結論に立ち至ったのか説明してみるがいい。当事者である私に一切連絡も取らないで十分な取材をしたというなら、金平に記者の資格はあるまい。