――石原慎太郎さん、村上龍さん、宮本輝さん、北方謙三さんなどは、軒並み高得点ですね。
小川 いま挙げた作家はもう横綱クラス、質・量ともに間違いありませんね。
とくに、石原慎太郎さんはすごい。昔読んだ作品も、今回読み直しましたが、やっぱりおもしろい。
石原さんが2017年に書いた『救急病院』は、脳梗塞になったときの経験をもとに書かれた小説ですが、何だかひょろっといい加減な感じで始まるのに、気づくと一気に読まされてしまっている。若い作家に限らず、大家であっても、通読するのが苦痛な作品がありますが、読者を自然に小説のなかに引き込むのは、作家が最低限身につけるべきエチケットだと思う。若い作家は全員、石原さんの小説を教科書として研究すべきでしょう。
石原さんといえば『「NO」と言える日本』を筆頭に、評論家のイメージが強いですが、生粋の作家なんです。二、三年前にお会いしたとき、こう言っていました。
「大江は、物語をつくるのが苦手だから、ある意味かわいそうなんだよ。でも僕は、いくらでも思いついてしまう」
石原さんを政治家としてしか知らない人は「何を言ってんだ」と思うかもしれないけど、まったくそのとおりなんです。
初期の作品を見ると天才です。もう強烈で、生き物のような文章を書く。石原さんは保守政治家で、発言も強硬だから、ある時期から文壇からは完全に黙殺されてしまっていますね。石原さんはトータルで見て、大江さんよりも作家としては上だと思います。少なくとも、同格としてみるべき作家です。
平成後半からレベルが低下
――100人の作家のなかには、小川さんが未読の作家も多かったですか。
小川 半分以上は読んだことがなかったですね。私のなかの「文学」は、昭和の大家たちで一度終わっているんです。昭和の大家最後の世代で、心から愛読していた池波正太郎や司馬遼太郎、井伏鱒二、永井龍男なども、平成が始まった10年でほとんど亡くなってしまった。
こうしてまとめて読んでみると、現役の皆さんにもいい作品がたくさんあり、それは嬉しかったですよ。ただ、平成の後半になると筆が荒れている作家が増えている印象です。桐野夏生さんなんかは、筆力は落ちてないのに作品の質はひどくなっている。
――ぼくなんかは国内外にかかわらず、作家としてデビューした初期の作品は読むけど、何作かで、もう読む気が失せてしまう作家が少なくないですね。とくに、ミステリーにはそういう作家が多い。
小川 別に、マンネリでもいいんです。有栖川有栖さんは、偉大なるマンネリだと思いますよ。でも、作品の品質はきちんと保証されています。一方で、ある時期から極端に点数が低くなっている作家がいる。実際に、つまらなくなっているんです。
たとえ枯渇しても、司馬遼太郎のようにエッセイストとして一流のものを書く、あるいは、北村薫さんのように文芸評論家としていいものを書くなど、いろいろな生き方がある。
川端はノーベル賞を取ったあと、朝から晩まで来客で忙しくなり、小説を書けなくなった。それでも、死にものぐるいで『たんぽぽ』(未完)を書いていた。ボロボロになりながらも、限界に挑戦している。痛ましくも崇高な姿です。そういう覚悟がないのなら、筆を折ったらどうかと思いますね。
一方で、編集者の問題もあります。私の採点基準で80点取れていた作家が、60点水準の仕事をし始めたら危険信号です。編集者がテコ入れをして、改善していかないといけない。もう一つの問題が、平成に入って、書けない人が文壇の中核になり始めたこと。この傾向は、渡辺淳一さんあたりから始まった気がします。
山崎豊子が盗作疑惑から文芸家協会を除名されたとき、福田恆存が文芸家協会を批判しました。
「山崎が除名されたのは、文壇のお偉方と酒を飲んだり、ゴルフをしていなかったからだろう。いまの文壇は腐りきっている」と。こんなことを書くから、福田は文藝春秋以外に書く場所を失っていくのですが(笑)。
それでも、当時の文芸家協会の理事長だった丹羽文雄さんは書ける作家で、文壇政治もこなしていた。
ところが、たとえば平野啓一郎さんのように、失礼ながらもともと力量に乏しい作家が、文壇のなかでそれなりのポジションにつくようになると、低いところに基準を置かざるをえなくなってしまう。
――しかも、そういう人たちが、最近は文学賞の選考委員になったりしている。
小川 そうなんです。この本を書いていて気がついたのですが、文学賞を取っていないほうがいい作品が多い(笑)。とくに直木賞はよくない。80点、70点取っている作家なのに、急に40点に下がったと思ったら直木賞受賞作だった、なんてことがよくありました。まるでよくない作品を狙っているかのように(笑)。