朝日新聞批判だけで60数回!
29年間にわたって毎週、書いてきたこのコラムも、いよいよ今回が最終回。
寂しい。限りなく寂しい。
毎週、日曜夜に書いて、月曜入稿(時には遅れることも)、水曜掲載というスケジュールだったが、日曜の夜、ぽっかり穴が空いたようだ。
30冊のスクラップブックをパラパラ眺めている。
長く続けられたのは、「何でも書いていい」という夕刊フジ編集部の寛大な編集方針のおかげだ。
日常生活で感じたこと、メディア批判、感動した映画や本のこと、あるいは人に聞いた面白い話などなど。
なかでも、いちばん多かったのは、やはり朝日新聞批判だろう。
3年前、産経新聞出版の瀬尾友子編集長が『安倍晋三が闘った朝日と文春』という本を出してくれた。
その時、必要だというので、スクラップブックをチェックしたら、朝日批判だけで60数回は書いていた。
困った時の朝日というか、ネタに詰まったら、朝日の紙面をじっくり読むと、何かしら、ネタ(つまり気に喰わぬこと)が見つかった。
「朝日は記者会見で謝罪せよ」(2014・8・14)
これは朝日が従軍慰安婦報道の誤りを認めた時。
〈一般企業が何か不祥事を起こした場合、社長以下幹部がズラリと並んで頭を下げ、新聞記者たちは舌鋒鋭く責任を追及、謝罪を求める。
同じことをぜひ朝日新聞にもやっていただきたい。〉
「ここまで落ちたか『天声人語』」(2019・7・11)
「あまりに露骨な朝日の参院選報道」(2019・7・25)
なかでもいちばん呆れたのがこれ。
「朝日経済部長の傲慢エピソード」(2021・3・11)
元朝日記者の永栄潔さんが、『ブンヤ暮らし三十六年 回想の朝日新聞』(草思社刊)という著書で紹介した富岡隆夫朝日新聞経済部長(後『AERA』創刊編集長)のエピソード。
某中堅商社の新任部長から経済部長の時間を取ってほしいと頼まれ、永栄さんが取り次いだ。
と、富岡部長がこう言い放ったという。
「なんで朝日の経済部長が、二流商社の部長に会わんといかんねん! 会いっこないやろ。そいつに言うたれ、朝日の経済部長は常務以上やないと会わんのやと」
「今週も来週もびっちり(予定で)埋まっとんのよ。会うのは全部、社長、頭取よ」
「何が悲しうて二流商社の部長に会わんといかんねん。ほんまけったくそ悪(わる)」
で、ぼくはこう書いた、
〈まさか割り勘ではあるまい。企業側がそんなことを口にしたら、「舐めとんのか」と言われるのがオチ。相手は一流企業の社長なのだから、それなりの店なのだろう。ひとりウン万円はするに違いない。送りのハイヤーも出してくれようし、おみやげもくれるだろう。
でも、まぁ、新聞記者には「新聞記者倫理法」もないから許されるんでしょうね。〉
いやぁ、最終回まで朝日批判になってしまった。
御愛読いただいた読者の皆様、夕刊フジ代々の担当の皆様、わが編集部の佐藤佑樹クン、長い間本当にありがとうございました。

月刊『Hanada』編集長。1942年、東京生まれ。66年、文藝春秋入社。88年、『週刊文春』編集長に就任。部数を51万部から76万部に伸ばして総合週刊誌のトップに。94年、『マルコポーロ』編集長に就任。低迷していた同誌部数を5倍に伸ばしたが、95年、記事が問題となり辞任、1年後に退社。以後『uno!』『メンズウォーカー』『編集会議』『WiLL』などの編集長を歴任。2016年4月より現職。