――芥川、直木賞は作品の絶対評価ではないので、運、不運はあります。いい作品が多かった時は落ちるとか。だから、前作のほうがよかった、今回は前回よりは劣る作品だけど賞をあげよう、なんてことがけっこうあるようです。
小川 それは分かるけれど、程度を越えていると思いますよ。2020年に、馳星周さんが『犬と少年』で直木賞を受賞しましたが、その典型ですね。デビューから20年以上経っての受賞で、悪を描くノワール小説が彼の真骨頂なのに、ヒューマンドラマで筆の冴えもない作品です。
馳星周さん本人も、功労賞のようなものかなと言っていたけど、やっぱり『不夜城』でバチッと実力を認めるべきだったでしょう。
基本的には、賞は選考委員の合意がないと成り立ちませんから、斬新なものに対して根強く反対する人が出てしまう。すると、どうしても平均的な作品が受賞する、という面はあるんでしょうね。
――昔、瀧井孝作さんが芥川賞の選考委員だったとき、志賀直哉を尊敬していた人だから、ああいう小説しか絶対認めない。ほかの選考委員も困ってしまうということがあったようです。しかも選考委員は自ら辞退してもらうしかなくて、文藝春秋から「辞めてください」ともいえない(笑)。
小川 『太陽の季節』の芥川賞をめぐって佐藤春夫らが反対したというような話なら、一種のドラマ性もあっていいと思いますが、先述したように、いまは選考委員自身が書けなくなっているケースが多い。
文学賞の内実はよくわかりませんが、文学賞そのものが意味をなさなくなってきている気がします。
文壇を維持するために、賞を乱発している。あれだけ文学賞があったら、力のない作家でも、どこかには引っかかるでしょう。受賞者と選考委員がお互いに授賞し、受賞しあっているケースもある。こういう受賞システムを離れている作家のほうがいい作品を書いています。古井由吉さんは、かなり早い段階で全ての賞を断っていますね。
厳しいことを言うようですが、いまの文壇や文学者は不真面目すぎます。でなければ、私も現役作家の作品にいちいち点数をつけるなんて、本来下品な仕事を引き受けたりはしません。私もそれは自覚しています。
私はクラシック音楽が本来の専門ですが、ヨーロッパでは、権威ある音楽評論家によるオーケストラランキングが毎年出されます。でも、個人を評価する指揮者ランキングとか、ピアニストランキングのようなことは権威筋はしません。失礼ですから。そんなことしなくても、みんな自分の限界に挑戦して、聴衆や批評の恐怖を克服しつつ、真摯に仕事をしています。
主流の作家たちが真摯に切磋琢磨している文壇であれば、それに点数をつけるなんて、私だって抵抗を覚えますよ。主要な出版社をすべて敵に回しますから、物書きとしては最もやりたくない愚の骨頂ですし。他の誰かがやってくれたらいいのにと思った(笑)。
それでも、やらざるを得ない現状がいまの文壇にはある。実際にこの本を書いてみて、手前味噌ですが、いまの文壇に必要な本だと感じました。
自浄能力がなさすぎるんです。平気の平左でこんな傷の舐め合いをやっていたら、読者に対しても失礼だし、“文学”に対しても失礼です。
この本が、そういった文壇の堕落をリセットするきっかけになればと思っています。
(初出:月刊『Hanada』2022年2月号)
文藝評論家、社団法人日本平和学研究所理事長。昭和42(1967)年生まれ。大阪大学文学部卒業、埼玉大学大学院修了。第18回正論新風賞を受賞。主な著書に『約束の日―安倍晋三試論』(幻冬舎)、『徹底検証「森友・加計事件」――朝日新聞による戦後最大級の報道犯罪』(飛鳥新社)など。最新刊は『「保守主義者」宣言 』(扶桑社 )。