私は1991年からのおよそ10年間、日本共産党本部勤務員として党発行の雑誌や書籍の編集の仕事をしていた。当時、党本部勤務員は「選挙・政治活動と党防衛のたたかい」という教育を受けることが必須であった。そのテキストには「現在の警察は政治警察であり、26万の警察が常時、日本共産党を監視下におき、攻撃の機会をねらっている」、「そもそも国家権力の支配の根幹に、権力としての強制力(警察、軍隊、裁判所・監獄、徴税機構)があることを常に念頭におく。『和解』できない階級対立がある」と強調されていた。
いまでもこうした党内教育は行われているのだろう。警察も税務署も自衛隊、米軍もみんな、共産党を弾圧する機関であり、「階級の敵」なのだ。
だが、こうした機関が常時、共産党を監視下においていることなど実際にはありえない。そこまで警察は暇ではないのである。
「文書は残さない」が共産党の文化
ただ、公安調査庁が日本共産党に関する情報収集に注力しているのは事実だ。同庁には通常、捜査権や逮捕権という強制力はない。強制的な立ち入り検査など、強制力が発揮できるのは、オウム真理教関係団体に対する強制立ち入りのように、破壊活動防止法が適用された後のことである。
日本共産党は破防法の調査対象ではあるが、まだ具体的な破壊活動が認定されていないため、強制調査の適用外となっている。
こうした状態が続いていることが、公安と共産党の間で前述したような不毛な論争が繰り返される原因なのだが、じつは、公安による調査活動は共産党にとっても利益をもたらしている。
共産党内では徹底した秘密主義が貫かれている。とくに組織の資金や人事、運営については秘中の秘となっている。党内の会議で財政報告は口頭で行われ、配布された資料は、メモも許されず、会議後には全て回収され廃棄される。資料には一部一部に番号が打たれていて、こっそり持ち帰ることができないようになっている。
党内での役員選挙でも同様で、候補者が誰だったか、誰も覚えていないし、誰が何票獲得したのかも事後には記録がのこされていない。はっきりしているのは党指導部が推薦した候補者が全員信任(当選)されたということだけである。私の除籍処分を決定した党会議でもいっさい記録は残されていない。私の除籍は会議に参加した党員全員が賛成したとのことだが、除籍の理由を理解している者は一人もいないだろう。事後に検証するにも議事録もとっていないのだから。
「文書は残さない」は共産党内のひとつの文化になっている。他の政党なら「開かれた党」「ガラス張りの党」が美徳となるだろうが、共産党では党内秘密の厳守が党員の最大級の任務である。その最大の口実になっているのが「公安や警察が監視しているから」「敵の策動から党組織を防衛するため」というものである。
公安を理由にした秘密主義の下で、不正な政治資金の運用や、特定の党幹部による恣意的な人事、党運営が行われている。
もし公安調査庁が調査活動をやめたら、共産党内の不正が内部の党員たちによって、吹き出すことになるだろう。
党史までも偽る日本共産党
共産党が本気で公安調査庁の調査活動が違法、違憲だというなら、先にも述べたように違憲訴訟を起こせば一気に解決できるだろう。共産党がそれをせずに不毛な論争を繰り返すのは、組織防衛に公安を利用したいだけではない。
公安の調査には確実な根拠があり、裁判をしても負けることはわかっているからである。
志位委員長は「どんな場合でも、平和的・合法的に社会変革の事業を進める」というが、過去において、日本共産党が暴力的方針を持ち、実際にそれを実行したのは歴史的事実である。
共産党が1951年に採択した「日本共産党の当面の要求― 新しい綱領」(いわゆる51年綱領)で「日本の解放と民主的変革を平和の手段によって達成しうると考えるのはまちがい」と規定し、同時に「武装の準備と行動を開始しなければならない」とする「軍事方針」を採択している。51年綱領は1958年7月の第7回党大会で正式に廃止されたが、それまでの間に実際に「軍事方針」にもとづいて、農村部に軍事拠点をつくる目的で「山村工作隊」が組織された。「白鳥警部射殺事件」(1951年1月)、「大須騒擾事件」(1951年7月)など裁判の確定判決で共産党の関与が認定されている暴力事件も起こしている。
この結果、共産党は国民からの支持と信頼を壊滅的に失い、1949年には36人を数えた党の衆院議員は、52年の総選挙では一人もいなくなってしまった。
最近になって共産党は「51年の文書は分派が勝手につくったもので綱領ではない」と言い出して「51年綱領」の存在すら認めない。過去に武装闘争の方針があったことを反省するのではなく、最初からなかったことにする自らの党史を偽る態度だ。
現在に共産党には暴力で革命を起こす方針も手段もない。だがそれだけでは「暴力革命の党」という評価を覆せないのは、過去の武装闘争の事実をかたくなに認めようとせず、いまだに犠牲者や国民に謝罪もしていないからだ。
共産党は党名変更をしない理由について「党名を変えなければならない大きな間違いをしていないからだ」と説明しているが、党の方針によって死者まで出している暴力事件を起こしていることは解党に匹敵する重大事である。
だからこそ、共産党はいまだに「無関係だ」とほお被りしているが、そうした態度では国民多数の信頼を得ることは永遠にこないだろう。
かつてレーニンはこう言った。
「自分のおかした誤りにたいする党の態度は、その党のまじめさをはかり、また、党が自分の階級と勤労大衆にたいするその義務を実際にはたすかどうかをはかる、もっとも重要で、もっとも確実な基準の一つである」(1920年 レーニン「共産主義における『左翼』小児病」より)。
自分たちの誤りを認め、歴史の真実を受け入れることしか道はないはずである。しかし、志位共産党にそれができるのか。